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W杯と政治(3ページ目)

開催中のW杯、もりあがってますね。今回はW杯と政治をめぐる関係について解説してみました。有名なサッカー戦争からイタリアの地域対立までからむサッカー、奥が深い。

執筆者:辻 雅之

1ページ目 【サッカー戦争の真実】
2ページ目 【多重国家ベルギーを1つにまとめるW杯】
3ページ目 【W杯でかえって分裂? イタリアの地域対立とサッカー】

【W杯でかえって分裂? イタリアの地域対立とサッカー】
セリエAは地域間の代理戦争だった?


2つならまだいい、サッカーがなかったらさらに6つ、7つに分裂してしまうかもしれない? これはイタリアの話です。

イタリアっていつできた国なのでしょう。イタリアという地名は中世の頃からありました。しかし、そのイタリアが国家として統一されたのは1861年。ベルギーよりもあと、わずか140年くらい前のことなのです。

それまでのイタリアは各地に国家が分立していて、一部はオーストリア帝国や、教皇(ローマ法王)の領地になっていたりしました。これをサルディニア王国が次々に征服していく形でイタリアの統一が実現したのです。

▼統一直前のイタリア
 

いまでもイタリア人は自分のことを「イタリア人」とはいわない、といいます。ナポリ人、ミラノ人、ロンバルディア人とか、それと似たような表現で自分のアイデンティティーを語るというのです。

イタリア統一のとき、当時の宰相は「イタリアはできた。イタリア人はこれから作るのだ」といったといいます。イタリア人にとっての「イタリア人」は、ある意味人工的なアイデンティティーなのかもしれません。

実際、いまでも地域間の対立は残っています。特に北部と南部の経済格差からくる対立は深刻。北部の「独立」を主張する政党「北部同盟」が力を伸ばしているくらいなのです。

この深刻な対立が思わぬ形となって現われたのが1990年イタリア大会。準決勝イタリア対アルゼンチンはイタリア南部の中心都市ナポリで行われました。「ホームでの試合」、イタリア有利と思われていましたが・・・

北部に反感を持つナポリ市民たちは思いっきりアルゼンチンを応援。ナポリで活躍していたマラドーナに対する応援でもあったのですが、それでもイタリアを応援しないなんて。思いっきりアウェー化した試合にイタリアは敗北してしまいます。地域対立感情の根深さがうかがえる出来事でした。

そんなイタリアにとってかかせないのがおなじみセリエA。国民的スポーツを舞台に都市を拠点とするチームが争うこのリーグはまさに地域間の「代理戦争」。根深い地域対立による不満を、かわりに解消してくれる装置として、セリエAの果たす役割は大きい、といわれます。

ここまで政治・社会に影響を与える、奥の深いサッカーというスポーツ。日本にもそういう日がやってくるのでしょうか?

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