一気に「勝ち組」へ

努力でMBA留学を勝ち取る
努力の甲斐あって、数年後に三木谷氏は、難関ハーバード大学MBAコースに入学するチャンスを勝ち取る。優秀な人材がそろう同期で、ハーバードに入学を許可されたのは氏1人だけだった。

ハーバードでは、起業家精神旺盛な海外の学生に、それまで大企業志向だった三木谷氏も大いに刺激された。楽天の起業も、MBAに留学しなければ、実現していなかったかもしれない。

MBA取得後は銀行に戻り、花形部門であるM&A(企業の合併・買収)の担当になる。ベンチャー企業経営者の指南役を務め、ソフトバンク孫社長やカルチャ・コンビニエンス・クラブ増田社長など、その後の起業に役立つ人脈を築く。

あきらめるな

もし三木谷氏が、最初に配属された事務部門で不満を漏らし、やる気を失っていたら、ハーバードへの留学も、M&A部門への異動もなかっただろう。もちろん楽天市場もなかったろうし、プロ野球のオーナーになるなど考えられなかったことになる。

88年に入行して91年に留学する3年間の過ごし方で、三木谷氏のその後の人生が大きく変わった。それも人生の中で考えれば短い出来事。一瞬の不遇すら、その後のステップアップに繋げてしまう、三木谷氏のキャリアに学ぶべき点は多い。

そうした強い精神力をどこで身に付けたのだろうか。決して優等生ではなかったという学生時代にさかのぼり、その原点を探ってみよう。

スパルタ教育をドロップアウト

スパルタ教育に挫折
父親が著名な教授という教育者の家庭で育った三木谷氏は、中学からは全寮制の私立中学に進まされる。厳格な教育で知られ、落第する生徒も多いその中学で、三木谷氏は2年生の途中でドロップアウトしてしまう。

『中学はスパルタ教育で有名な全寮制の私立岡山白陵中学に進みましたが、試験の成績が四十一番中四十番目。結局、四十一番目が辞めてしまったので、父親に懇願して二年生の途中から地元の公立中学に転入しました。』(2000年5月9日「日本経済新聞夕刊」より引用)

この経験は10代前半の少年に、大きな挫折感を味あわせた。その悔しさを三木谷少年は、テニスにぶつけた。

『その時に始めたのがテニスです。その後明石高校に進んでからもテニスに打ち込み、そのころから本気でプロを目指しました。勉強は落ちこぼれ。とうとう高校二年の時には、親から「県大会で優勝できなければあきらめて勉強しろ」とまで言われました。』(同上)

>失敗はお早めに