ユネスコ標章に託された想い
前門、プロピュライア。17世紀、オスマン・トルコが占領した際に弾薬庫として使い、敵の砲弾を受けて大破した ©牧哲雄
- 世界はどうしてはじまったのか?
- 物を細かく切っていったらどこまで小さく切れるのか?
- 赤い色はなぜ赤く見えるのか?
- 正誤善悪とは何か?
パルテノン神殿にUNESCOの文字を組み込んだユネスコの標章
たとえば「世界はどうしてはじまったのか?」に対して、「神が創った」とか「ビッグ・バンが起きた」とかいえても、それに対して「神はどうやって創られたか」「ビッグバンはなぜ起きたか」と永遠に問うことができる。赤い色にしても、光と神経と脳の関係はわかっても、それがどの段階で赤という質感に変わるのかはまったくわかっていない。アトムにしても、この世に最小の粒子が存在するとして、その内部はどうなっているのか、その謎は解かれようがない。
原子論のように、ギリシア哲学が現代科学に匹敵するような結論を導き出した理由は、何かを単純に信じて終わりにするのではなく、世界を真摯に感じ考え続け、ほとんど思考の限界まで達することができたからだ。ルネサンスの人々が古代ギリシアに生命力や美を見た理由はここにある。
アテネのアクロポリスは古代ギリシアの象徴であり、人間の感性や知性の象徴でもある。同時にそれは世界遺産条約がいう「普遍的価値」を象徴するものでもある。ユネスコのマークにパルテノン神殿が採用されている理由は、きっとこの辺りにあるのだろう。