カルナック神殿とルクソール神殿
カルナック神殿第7塔門。大きく見える2体の左がオシリス神像、その右がトトメス3世像 ©牧哲雄
ホメロスの『イリアス』で「100塔門の都」と讃えられた東岸の王都の中心をなすのがカルナック神殿だ。神殿は主に、アメン神と太陽神ラーがあわさってエジプト最高神となったアメン・ラーを祀るアメン大神殿、アメン神の妻ムートを祀るムート神殿、軍神メンチュを祀るメンチュ神殿の3つからなっており、これらの中にさらにコンス神殿やオペト神殿など様々な神々や王を祀る施設がある。
「南のハレム」ルクソール神殿正面。座っているのはラムセス2世像 ©牧哲雄
カルナック神殿には紀元前2000~紀元前100年ほどまでの約2千年間にわたって幾代もの王が神殿や塔門、オベリスクなどを寄進しており、改修・増築を重ねて大神殿が形成された。特にすばらしいのは美しいレリーフに覆われた134本の柱が林立する大列柱室だ。近くにはハトシェプスト女王とトトメス3世の巨大なオベリスクが立っていて、エジプトでもっともエジプトらしい景観を見せてくれる。
カルナック神殿の南西約3kmにあるのがルクソール神殿だ。ルクソール神殿とカルナック神殿はもともとスフィンクス参道で結ばれており、年1回、ナイル川の増水時にアメン神とムート神がここを訪れるオペト祭のために造られた。
ちなみに、現在トルコの世界遺産「イスタンブール歴史地域」に立っているオベリスクはカルナック神殿から、フランスの世界遺産「パリのセーヌ河岸」のコンコルド広場にあるオベリスクはルクソール神殿から持ち出されたものだ。
王の墓所 王家の谷
緑ひとつない砂漠の山中に隠された王家の谷。62の墓が発見されているが、見学できるのはこのうちの十数基 ©牧哲雄
ルクソールの一番のハイライトは前述のカルナック神殿と王家の谷だ。王家の谷は、新王国を築いたトトメス1世が砂漠の山中の地下深くに墓を隠したことからはじまったといわれている。以来新王国の王はこぞってこの山中に墓を建設し、アブシンベルを築いたラムセス2世の王墓や、トトメス1世、ラムセス3世、セティ1世など、名だたる王の墓がそろっている。
トトメス4世の王墓。トトメス4世が様々な神と会合する姿を描いている。天井には一面の星 ©牧哲雄
特に有名なのが1922年、ハワード・カーターによって未盗掘のままに発見されたツタンカーメン王の墓だ。ツタンカーメンは若くして亡くなった王で、利用されたあげく殺されたのではないかともいわれている。カーターは墓を発掘した際、黄金のマスクをはじめとする財宝とともに、棺にそっと置かれていた矢車草の花束を発見した。カーターは、夫に先立たれた王妃アンケセナーメンが王を想って贈ったのだろうと考え、著書の中でこう語っている。
「わたしたちは、この花束を、 夫に先立たれた少女の妃が、『二つの王国』を代表した若々しい夫にささげた最後の贈り物と考えたいのである。いたるところ黄金の色きらめく、帝王の豪華、王者の華麗のなかにあって、まだほのかに色をとどめたささやかなあせた花ほど美しいものはなかった。それは、三千三百年といってもごくわずかの時間であって、昨日と今日の境にすぎないことを物語っていた」(ハワード・カーター『ツタンカーメン発掘記』筑摩書房より)。