西郷、御影郷、魚崎郷、今津郷、西宮郷で「灘五郷」

日本酒の一大生産地といえば灘(兵庫)と伏見(京都)。
この二つの地区は、日本酒をそんなに知らないという人でも聞いたことがあるというくらい日本酒と直結したイメージを持つ地域だ。
その二つのうちの一つ、「灘」を散策した。

実際にこの地区を訪れてみると、思いのほか広いことに驚かされる。
そう、一言で「灘」といっても、実は5つの「郷」と呼ばれる地区に分かれているのだ。大阪湾に面し、西から、西郷、御影郷、魚崎郷(以上神戸市)、今津郷、西宮郷(以上西宮市)をあわせた地域を「灘五郷」と呼び、実に12kmにおよぶ広さを誇るのだ。

灘五郷酒造組合サイトより。五郷の位置関係がよくわかる。
拡大図はこちらへ。

まずは、灘の歴史から。
『灘の酒造りの始まりは古く、室町時代にはすでに酒造が始まっていたとの記録があります。一般的には寛永年間(1624~1643年)に伊丹の雑喉屋文右衛門が西宮に移り住んで酒造りを始めたのが最初とされています。
江戸時代初期には、水と交通の便に恵まれた池田・伊丹地域が江戸向けの酒造地域として繁栄していました。これに対し灘地域は、水車を使った精米や寒仕込みなど独創的な技術を駆使して優良酒造りに励み、その名声を高めていったのです。

さらに江戸への酒の輸送問題も灘を優位に立たせました。灘をはじめ、上方で作られた酒は大消費地である江戸に向けて出荷されましたが、伊丹や池田の酒が馬の背に樽を積んで、港まで陸送しなければならなかったのに比べ、沿岸部に接していた灘地域は大量の酒を樽廻船で運ぶことができたのです。樽廻船は酒を専門に運ぶ帆船で、江戸へは20日ぐらいで到着しました。幕末には3000もの樽を一度に運べる船も現われ、灘の発展におおいに役立ったのです』
(灘五郷酒造組合HPより)

この灘の酒の発展に欠かせないのが「宮水」と最高の酒米である「山田錦」の存在だろう。ミネラル分が豊富で、日本酒には必要のない鉄分をはじめとした雑成分のない水質の湧き水がこの地にあったことと、骨格と品格のある酒に仕上がる最良の酒米が近隣にあったことが、灘の酒を全国的なものにしていった大きな理由である。

さらに、現地に立ってみると感じられる六甲山からの冷たい吹き降ろしの風「六甲おろし」。この冷涼な風が自然の寒造りを促してくれることも良質の清酒造りの後押しをしてくれた。
これらのさまざまな地理的要因が、「秋あがり」するからりとした辛口の男酒を生み出してきたわけだ。

この地図を片手に、のんびりゆったり散策してみよう!拡大図はこちら
さらに、解説付き「灘の酒蔵 観光ガイドマップ」は神戸公式観光サイトからダウンロードできる。


→では、次ページから灘の酒蔵巡りを始めましょう。