■■沖縄そば専門店は「そば」ではなく「すば」だった■■

沖縄そば専門店>看板には「すば」の文字
沖縄そば専門店看板には「すば」の文字

忠孝酒造を後にして、遅い昼食。
沖縄そば専門店「豊見城すば」(豊見城市嘉数731 電話098-856-6101 火曜定休)。

「そば」ではなくて「すば」なのだ。私はこのラーメンのようなうどんのような不思議な麺と、あっさりとしてるけど旨味のある出汁の沖縄そばが大好きだ。とくにここのは品があって、コクがあって、「すば」らしい。
もちろん、湿度のある空気にはオリオンビールの生も「すば」らしい。

女将さんは島歌歌手でもあり、サンシン片手に数曲披露してくださった。波に揺れるようなリズムと向こうの島まで聞こえるような透き通った声が心に響く。

<11月。まだ「氷」の旗が立つ。=左><ソーキ(骨付き豚肉の煮物)がのっておりコクがある=右>
<11月。まだ「氷」の旗が立つ。=左><ソーキ(骨付き豚肉の煮物)がのっておりコクがある=右>




■■戦前の黒麹菌で蘇った『御酒(うさき)』■■

瑞泉酒造入口。南国らしい風情がある
瑞泉酒造入口。南国らしい風情がある

次にうかがったのは老舗『瑞泉酒造』

ここにくる前に、【←崎山 赤田 鳥堀→】というバス停を見かけたが、まさにこの地名が、昔、琉球王朝より泡盛造りを許されていた地域なのだ。

「赤田」のバス停。琉球王朝が認めた泡盛の産地だ
「赤田」のバス停。琉球王朝が認めた泡盛の産地だ

『瑞泉酒造』は、この崎山にある由緒正しき蔵元さんということになる。琉球王朝の「焼酎職」を始祖にもつ蔵の歴史は1887年に始まるのだ。

もともと、この地域の泡盛酒造所は、それぞれの蔵つき酵母や独自のかび(黒麹)で仕込みをし、それぞれ個性の違う味わいを持っていたのだが、太平洋戦争でそのすべてが焼き尽くされてしまった。今使用されている黒麹菌は、ほとんどの蔵が同じ物を使用しているのだ。

佐久本武社長熱心にご説明くださった
佐久本武社長熱心にご説明くださった

ところが先年、東大研究所に1935年当時の瑞泉蔵で使用されていた黒麹菌が残っていることがわかった。その黒麹菌を現在の瑞泉酒造があらためて譲り受け継ぎ、苦労と研究の末、みごと発酵蒸留に成功した。まさに、戦前の酒が蘇ったことになる。

戦前の味をご存知の先代が合格点を出したその酒は、杜氏の泡盛の総称『御酒(うさき)』と名付けられた。はなやかな香り、まろみと酸味のバランスとれた味わい、戦前の泡盛なのに洗練された口当たりがとても印象的だ。

<杜氏さんはなんと若き女性 中村呂桜良(ローラ)さん=左><酒を貯蔵する大甕が並ぶ=右>
<杜氏さんはなんと若き女性 中村呂桜良(ローラ)さん=左><酒を貯蔵する大甕が並ぶ=右>


この『瑞泉酒造』は沖縄日本復帰30年目に、『瑞泉』銘柄の泡盛をニューヨークに進出させたが、アメリカをはじめ世界各国の人たちに、大戦に巻き込まれながらも蘇った不死身のお酒を体験してもらいたいものだなあと思った。


昔ながらの瑞泉のラベルと、戦前の味が復活した「御酒」
昔ながらの瑞泉のラベルと、戦前の味が復活した「御酒」