唯一無二のステンドグラス群
聖母のように温かくやさしい北ファサードのバラ窓。各ファサードのバラ窓は、それぞれ独自の主題を持っている
全173作品あるステンドグラスのほとんどは11~13世紀前後のもので、この時代のステンドグラスはのちの宗教戦争や世界大戦で多くが失われてしまったため、当時のステンドグラスで覆われた極めて稀有な聖堂なのだ。
南ファサードの内部。下が「柱の聖母」。シャルトル大聖堂には聖母マリア像がいたるところにある
このような場所では作者の意図通り、ただ空間を感じたい。上へ上へ引き上げられるような浮遊感、闇にきらめく光のたゆたい、全体を統一する青の清浄さ。教会堂とは、一つひとつの建築がどうこういう以上に、神との交流の場であり、神を感じる空間なのだ。
シャルトル大聖堂の歴史
カトリックの大聖堂はたいていラテン十字形(下が長い十字架型)で、十字架の下を日没の西、十字架の頭を日が昇る東に合わせて造られている。しかし、このシャルトル大聖堂は南西を向いている
もともとシャルトル大聖堂のある場所には古くから教会堂があったようだ。一躍有名になったのは、876年に西フランクの国王シャルル2世が大聖堂に「サンクタ・カミシア」を贈って以来。これは聖母マリアが大天使ガブリエルにイエスを身ごもったことを伝えられた「受胎告知」の際に着ていたといわれる青色の聖衣だ。
サイドから見たシャルトル大聖堂
しかし1194年、大聖堂は大火事に見舞われ、西側の塔などを残してほとんどが消失してしまう。この火事で聖衣も燃えてしまったと思われていたが奇跡的に残り、このためますますマリア信仰が高まることになる。
こうして大聖堂再建の機運が高まってフランス中から寄附が集まり、また地元の多くの住民が再建を手伝ったことで、わずか20数年で完成したのが現在のシャルトル大聖堂だ。建築家の名前は伝わっていないが、当時全盛を迎えたフランス・ゴシックの集大成といえるものとなった。