天壇公園の構成

丹陛橋の様子。丹陛橋は圜丘壇から祈年殿にかけて軽い上り坂になっている ©牧哲雄

丹陛橋の様子。丹陛橋は圜丘壇から祈年殿にかけて軽い上り坂になっている ©牧哲雄

実は先述の天壇とは圜丘壇のことで、祈穀壇とは祈年殿(チー・ニェン・ディエン/きねんでん)のことをさす。現在「天壇」といえば天壇公園のことを示し、祈年殿と圜丘壇はこの天壇公園の中にある。

広大な敷地を有する天壇の中心がこのふたつの壇で、双方は丹陛橋という道で接続している。丹陛橋の途中には皇穹宇(ファン・チョン・ユイ/こうきゅうう)があり、この3つは南北一直線につながっている。

斎宮正殿。皇帝は祭祀の前に女性と肉を断ち、ここで身を清めて壇に向かった ©牧哲雄

斎宮正殿。皇帝は祭祀の前に女性と肉を断ち、ここで身を清めて壇に向かった ©牧哲雄

天壇公園にはこれ以外にもいくつかの建物がある。丹陛橋の西に位置するのが斎宮だ。皇帝は祭祀の際に正殿、寝殿、鐘楼などからなる斎宮に泊まり、精進料理を食べ、身を清めた。

斎宮のさらに西、門の外には神楽署がある。祭祀を行う際に皇帝につく役人が寝泊まりし、また役人の教育・育成も行った。この他に皇乾殿、宰牲亭などの建物もある。

これらすべての施設は北側を円(半円)、南側を方形で囲んだ敷地内に収められている。天と大地を示す天円地方を取り入れて、天壇は宇宙を描き出す。

 

北京を代表する建築物、祈年殿

高さ38m、直径32mの祈年殿。明の永楽帝が北京に遷都した際に建築したもので、1420年に完成した。といっても1889年に落雷で焼失。現在の建物は1906年に再建されたもの ©牧哲雄

高さ38m、直径32mの祈年殿。明の永楽帝が北京に遷都した際に建築したもので、1420年に完成した。といっても1889年に落雷で焼失。現在の建物は1906年に再建されたもの ©牧哲雄

金と青が美しい祈年殿の屋根 ©牧哲雄

金と青が美しい祈年殿の屋根 ©牧哲雄

紫禁城と並んで北京を代表する建築物が祈年殿だ。建築当初は天地壇、のちに祈穀壇と呼ばれるようになったが、これは春節(旧正月)に皇帝がここを訪れて五穀豊穣を祈ったことによる。

天を示す円と奇数から構成された祭壇で、基壇は円形3層。3層は地上・雲上・天上を表すといわれ、それぞれは9段の階段でつながっている。

円形をなす祈年殿の高さは、明代に建築された当時9丈9尺だったといわれている。屋根は3層で、当初は青・黄・緑の3色で塗り分けられていたが、いまは天を示す青に統一された。

極彩色に広がる祈年殿の内部。金を基調に天は青、柱は赤で彩られている ©牧哲雄

極彩色に広がる祈年殿の内部。金を基調に天は青、柱は赤で彩られている ©牧哲雄

内部は中央の壇と柱、屋根からなっている。内部の柱にも意味があり、まず中央の4本の柱(龍井柱:りゅうせいちゅう)は四季を表し、その外側の12本の柱は12か月を、さらに外側の柱は12時辰(当時の時刻)を示しており、この28本の柱で屋根を支えている。柱の中央には彫刻がはめ込まれていて、鳳凰や龍が描かれている。

祈年殿の外観だが、円形の建物自体が珍しいからなのか、とても不思議な印象を人に与える。青い屋根は青空によく映えて、怖いほどに美しい。内観もまた壮観で、金をふんだんに使ったカラフルな色合いもさることながら、内へ内へ上へ上と展開する意匠が、いまにもクルクル回転して宙へ吸い込まれていきそうな不思議な錯覚を呼び起こす。