ナバテア王国の都ペトラの歴史
第二のハイライト、エド・ディル。かつてはラベル2世の墓だったといわれているが、エド・ディルとは修道院の意味で、キリスト教化したのち修道院として使われたようだ
エド・ディルへはエル・ハズネから徒歩1~2時間
ローマがヨーロッパに大帝国を打ち立てるまで、オリエントはいわゆる「肥沃な三日月」地帯を中心に、メソポタミア、エジプト、ギリシア、インダスの古代文明を結ぶ要衝として繁栄し、世界最先端の文明を誇っていた。それぞれの文明は砂漠によって接続され、遊牧民たちがその交易を担っていた。
ナバテア人もそんな遊牧民族のひとつだった。シリアとエジプトが戦争を繰り返したおかげでヨルダン地方の交易はナバテア人が一手に担うようになり、繁栄するにつれて人口が増し、やがて定住するようになった。もともとこの地はエドム人のものだったが、イスラエルとの交戦で疲弊していたエドム人は、自然とナバテア人と融合していったようだ。こうしてできた国がナバテア王国で、首都ペトラは最盛期には人口3万人を数えたという。
崖の上から見たエル・ハズネ。探せばこんな裏道があちこちにある。右側の道からローマ遺跡へとつづく
以来1,000年以上にわたって歴史の表舞台から消え去ったペトラがふたたび西洋に発見されるのは、1812年にスイス人探検家ヨハン・ブルクハルドがアラビア人を装って伝説の都市の噂を聞きつけてここに入ってからである。