樹齢百数十年に及ぶ栃(とち)の大木。伝統的な手打ち蕎麦の木鉢は、この自然木を輪切りにして木地を作り、内側を朱、外側を漆黒で塗って仕上げる工芸的な価値の高いものだ。 しかし、手打ち蕎麦店で来る日も来る日も酷使されると、案外痛んでしまうものだ。 |
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▲15年ほど手打ち蕎麦店で酷使された鉢 ▲完全に漆の塗膜が切れている ▲激しい鉄砲動作で… ▲鉢の裏面の手前と向こうがえぐれている ▲これは致命的なヒビが入った鉢の側面 |
この鉢の状態を見て、少し考え込んでしまった。 自然木は、数年で生長できるものではない。そして、蕎麦の木鉢に使うために直径2尺3寸(約690mm)もの鉢に仕上げるためには、素材の段階でゆうに3尺(90cm)くらいの直径であることが求められる。大きなそば玉をこねるためには、これまでは樹齢百年以上の木を用いなければならなかったわけだ。 でも、その鉢が仮に何百年も使えるのであれば、有用な自然素材として人類の役に立ち続けるということになる。実は私は、つい先頃まで木鉢というものは半永久的な造形で、ずっとずっと、いつまでもそば玉がこねられるもの、と信じていた。しかし、それは愚かな過ちだった。 画像を見て欲しい。かなり繁盛している手打ち蕎麦店で、15年ほど使い込まれた木鉢がこれ。これを見たとき、びっくりはしたが、漆が切れているところを補修すれば新品同様に再生できるものと思っていた。 ところが、この鉢を信頼できる職人に見てもらい再生が可能かどうかを訊ねたところ、答えは言下にNo!だった。 クラフトマン曰く、もちろん塗装は切れていてそうとうなダメージとなっているが、永年の酷使でそもそも木地が相当へたっている。漆の都膜を塗り直すことは可能だが、それはあくまでも実用的なものではなく、使えない飾り物の鉢として再生することになるという話だった。 なるほど、この鉢はすでに耐用年数を超えてしまったのか。鉢は(プロの酷使を受け続けると)、思ったよりもはるかに短い寿命なのだということを思い知らされた。 一番下の画像は、また別の木鉢なのだが、こちらは側面に大きな亀裂が走っている。そばの玉をこねるためには、鉢の内側がつるんと仕上がっていなければならず、このようなヒビが内側にまで回ってしまった場合、よい仕事は望むべくもなくなる。 そばの仕事は、必ずしも天然素材や工芸的な価値が高い道具を用いなくともよい、と私は思う。有限の地球資源を上手に利用していくため、蕎麦道具も新しいあり方が問われてきていると強く感じている昨今である。 |
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