さらなる品質向上を
エウジェニオは40歳の若さでガンにかかり2002年の夏に亡くなった。その時のことを尋ねると、笑顔は一転して曇った。「ごめんなさい。今でもあの頃のことは冷静に話せなくて…」と涙をにじませる。亡くなった後、誰に相談するまでもなく、自分が夫の遺志を継がなくてはと直感した。ワイナリーを譲って欲しいという申し出もあったが全て断わり、以前から手伝っていた実弟のマッシモが畑を、ルカ・ダットーマの助けでチンツィアが醸造を担当し、夫が最期まで心配していた難しいヴィンテージである2002年を乗り切った。
2001年のたっぷりと果実味が熟しきったパレオと比較すれば、引き締まってミネラルやクローヴのようなスパイスが際立っている2002年ヴィンテージ。厳しい選果で生産量を大幅に落としている。「実際は平均気温や9月の雨量は2001年と大差ないのです。同じく難しかった1996年が立派に熟成しているように、2002年も変化して行くはずです」という。