紅茶の元祖は緑茶?!
英国でも人気の正山小種 |
この頃知られていたのは紅茶ではなく、実は緑茶でした。
約50年後、1610年にオランダ人商人が販売用に日本から茶を持ち帰ったことを契機に、ヨーロッパにお茶が輸出されるようになり、中国からも様々なお茶が輸出されるようになりました。
この時代中国から輸出されるお茶は、まだ緑茶であったといわれます。
1600年代後半から1700年代には、ヨーロッパで喫茶文化が花開きます。では、この時代、中国には紅茶はあったのでしょうか?
正露丸の匂いが特徴 |
もちろん、このような過酷な環境に茶葉を置くと、グリーンティーが劣化してブラックティーに変化するわけで、紅茶が英語でブラックティーといわれるようになった由来はこんなところにあるのかもしれません。しかし、緑茶はすでに発酵を止めてある製品。日差しと湿気を加えても劣化するだけで、発酵が進み紅茶になるわけではないことは、広く知られている話しですね。
中国で一番早く生まれた紅茶は、おそらく18世紀になってから。当時は緑茶がまだまだ主流。もちろん、緑茶からいきなり紅茶になったのではなく、その間になにか別のミッシングリンクがあったのではないかと考えるのが一般的です。
ミッシングリンクは烏龍茶?!
茶葉は黒っぽい |
『グリーン・ティーとブラック・ティー』(矢沢利彦著)という本を紐解いてみると、19世紀中葉のイギリスの自然科学者ロバート・フォーチュンが、中国を二度にわたって訪問し、詳しく茶の状況をレポートしているのですが、彼の著作の中には、中国にはグリーン・ティーとブラック・ティーの二種類があったことが記述されています。
烏龍というお茶の区分はなく、烏龍の茶葉の色合いなどが緑茶と比較すると褐色、あるいは黒に近い色をしていたことから、緑茶以外のお茶をブラックティーと呼んでいたようです。
このお茶たちは、緑茶よりもヨーロッパの食生活にはあうということで、中国から次第に多く輸出されるようになって行ったようですが、当時、まだ現在の完全発酵させた紅茶は生まれていなかったというのが定説ではないかと思われます。
18世紀から19世紀にかけて、中国からイギリスへ「BOHEA」(ボヒー)というお茶が多く輸入されていました。
正山小種の焙煎を行なう「青楼」 |
この「BOHEA」は福建省の武夷山辺りで作られる烏龍茶だといわれていますが、当時の記録ではこの茶が「ブラックティー」と呼ばれていました。
今の全発酵の紅茶(=ブラックティー)とは明らかに違う半発酵の烏龍茶(=ブラックティー)が、何をきっかけに全発酵のお茶になっていったのか、実はそのあたりの経緯が今ひとつ明確ではありません。
諸説ある中で、一つの説(注1)としては、ヨーロッパ人の好みに合わせ中国で烏龍茶の発酵を強くしていったのが紅茶の始まりというもの。その証として、武夷山周辺の星村桐木のお茶「正山小種」が掲げられています。
(注1)紅茶専門店リンアンの店主、堀田さんから「紅茶はインドでイギリス人自身が作り出した。」という説があることを教わりました。
当時まだ中国では現在のような紅茶は作られていなく、インドアッサムでお茶が作られるようになったときに烏龍茶から紅茶に代わっていったというものだそうです。
もちろん、このときも烏龍茶に似たブラックティーで、技術的に全発酵の紅茶が生まれたのは、1873年にウィリアムジャクソンが製茶機を発明し、充分な揉捻が出来るようになったことがきっかけだとのこと。