紅茶が日本で飲まれるようになったころ、どれくらい多くの日本人が紅茶も緑茶と同じ種類の木から作られていたと認識していたことでしょう。文明開化によって西洋の文化として紹介されたもののひとつが紅茶でした。紅茶は高価な舶来品として一部の上層階級の人の嗜好品だったのです。

富田仁氏著の『舶来事物起原事典』によると、「1874年(明治7年)5月27日の『江湖叢談』では、東京の銀座尾張町、甲子屋池谷権兵衛店による広告にこう掲載されたとあります。
「紅茶は欧米ではブラキテといい、コーヒーに代用され、棒砂糖を入れ、牛乳を加えて飲む。」紅茶は「ハイカラ」な飲み物としてミルクと砂糖を入れて飲むイギリス風の飲み方が紹介されていたわけです。


より多くの人に紅茶の味を知ってもらうために各地にキッチンカーで試飲宣伝を行った

紅茶を日常生活へ導くために

日東紅茶の歴史は、1927年(昭和2年)に発売された、初の国産ブランドである「三井紅茶」に始まります。このとき作られた試製紅茶は海外市場で世界最高品ダージリンに匹敵するとの評価を受けています。

1930年(昭和5年)、「三井紅茶」は「日東紅茶」と改称され、1933年(昭和8年)、ロンドン市場で驚異的な高値で取引されてから、英国で日本ブランドとしての名声を得ることになったのです。日東紅茶は世界市場での地位を築いた上で、どこまでも大衆に愛される紅茶ということを現在でも貫いているのです。

日東紅茶の歴史を語る紅茶缶
1951年(昭和26年)に建設された静岡県藤枝市の仕上げ包装工場からは数々の銘茶が生まれ続けています。セイロン系ブレンドの「青缶」、「紫缶」、「白缶」、ダージリンブレンドの「白丸缶」が次々に発売されました。中でも「白缶」はセイロンの旨みと香りが豊かでロングセラーとして人気がありました。これらのリーフティーが親しまれるようになった後、ティーバッグが紅茶の普及を加速しました。1961年(昭和36年)に「日東ティーバッグ」が発売されてからは、紅茶が国内で広く飲まれることになりました。

昭和13年、日比谷にオープンした「日東コーナーハウス」

日東紅茶を製造する三井農林はこの他にも、小田急ロマンスカー「走る喫茶室」を1950年に開始したり、日比谷で「日東コーナーハウス」の営業を1960年(昭和35年)に再開するなど、紅茶の普及に貢献する活動を様々な形で行っています。

日本で最も伝統あるブレンド技術を誇る日東紅茶。家庭の中でも、プロの扱う業務用紅茶としても高く評価されているのは、日本の水に合う、日本人のテイストを知り尽くしたテイスターがつくる紅茶だからなのでしょう。いつでも手の届くところに存在するようになった紅茶ですが、日東紅茶はこうした当たり前の生活を支え続け、私たちの生活を豊かにしてくれているのですね。

日東紅茶第2回では藤枝工場の紅茶鑑定室について掲載の予定です。どうぞお楽しみに。

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日東紅茶 
日本で最も歴史のある紅茶専門ブランド。黄色いパッケージのティーバッグでおなじみです。新商品情報もこちらで確認できます。歴史やレシピ、入れ方なども満載。

写真提供:三井農林株式会社
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