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逸品SW復活!リンクス マスターモデル

1971年に発売され、青木功プロの活躍を支えるなど日本のゴルフ界を席巻したリンクス マスターモデル。この人気モデルの歴史を紐解きます。最新の復刻版もあります。

児山 和弘

執筆者:児山 和弘

ゴルフガイド

オリエンタルマジックを支えたSWリンクス「マスターモデル」

日本のゴルフ史に残る逸品リンクス「マスターモデル」
ベテランゴルファーでなくとも、リンクスのマスターモデルというサンドウェッジ(以下SW)の存在をご存知の方は多いでしょう。

マスターモデルは1971年に発売。既に30年以上が経過しています。もともとはアイアンセットとして発売されたモデルですが、そのSWだけがその存在を大きくクローズアップされました。ショートゲームの名手、青木功プロやジャンボ尾崎プロ、倉本昌弘プロなど、多くのツアープロが使用し、上級者に絶大な人気がありました。15年位前までは、バンカー専用のSWとしてセットの中にマスターモデルを入れていたゴルファーは非常に多かったものです。

「SWはマスターモデルでないと……」とこだわる方もずいぶん多かったのですが、クリーブランドTA588やタイトリスVokey(ボーケイ)ウェッジといった現代の名器の登場もあり、現在はご存知の方もずいぶん少なくなってしまいました。

マスターモデルの人気は特に日本でのもの。アメリカでも使用率は高かったのですが、70年代から80年代にかけては、ウィルソンのダイナパワーウェッジが全盛でした。日本での異常な程の人気の背景には、日本の芝質や硬いバンカーに、その特徴的なグースネックやバンス形状があっていたからだとも言われていますが、何といっても“オリエンタルマジック”と称されたバンカーの名手、青木功プロの影響が大きいのではないでしょうか。

日本ツアーの賞金王はもちろん、1978年の世界マッチプレーの優勝、1980年の全米オープンでの帝王ジャック・ニクラウスとの死闘、1983年のハワイアンオープンでの優勝と華々しい活躍の傍らにはいつもリンクスマスターモデルがありました。

青木プロは、何度もバンカーセーブ率1位になるほどの世界的なバンカーの名手で、本人もアメリカでのインタビューで「I read bunker」(俺は砂目が読める)と発言したこともあります。強いプロの使用する道具が人気になるのは、今も昔も変わりません。マスターモデルは70年代後半から90年代前半までは、日本におけるSWの代名詞的存在であり続けました。

>>その後の影響について>>
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