革命のビ・バップ、大衆化のハード・バップ(?)
さて、いくつか音源を聴いていただいたところで再び歴史に戻ってみましょう。55年のチャーリー・パーカーの死以降、ビ・バップ人気が次第に下火になるにつれて、若手ビ・バッパー達は、おりしも黒人社会で市民権を高めてきたリズム&ブルース、ソウルといった音楽に影響を受けつつ、自らの音楽の可能性を探るようになりました。そして50年代後半、彼らの多くはハード・バップに行き着くことになるのです。ビ・バップのような実験的な音楽では食えない。しかしながら、音楽的にあまりに単純なリズム&ブルースでは自分たちの内なる衝動・音楽的表現をまっとうできない。そうしたミュージシャンたちが行き着いたのが「ハード・バップ」でした。言うなれば、ハード・バップにはビ・バップの自由さとリズム&ブルースが持つ大衆性の両方が共存していたのです。
芸術性と大衆性の同居、その功罪
この時期、ハード・バップはジャズのメインストリームに成長します。牽引役はアート・ブレイキー&ジャズ・メッセンジャーズやMJQ(モダン・ジャズ・カルテット)、マイルス・ディヴィスのグループです。彼らは一定の商業的成功を収め、社会的地位とプライドを高め、次第にそれぞれの音楽的探求に没頭するようになります。この結果、50年代末から60年代にかけて、ハード・バップには綺羅星のごとく名盤が産まれ、黄金時代を迎えます。成功したミュージシャンたちは、さらにそれぞれのアプローチでビ・バップやハード・バップの特性を発展させ、洗練させていきました。そしてそうした「洗練」が臨界点に達した時、ハード・バップはいったん終焉を迎えることになるのです。
「ハード・バップ」の本質は、いわゆる「俗っぽさ」と「芸術性」のブレンドにあった、ということかもしれません。ある程度の範囲でのキャッチーさ、大衆性が失われた時、ジャズは「ハード・バップ」であることをやめたのです。
その後しばらく、商業音楽シーンでは「古い音楽」「終わった音楽」としてカテゴライズされてしまったハード・バップですが、90年代以降のジャズシーンでは、再びそのスタイルが持つ可能性が見直されつつあります。アートは純粋であればよい、というものではありません。大衆性と芸術性が絶妙にブレンドされたハード・バップというスタイルは、思いのほか、時代を超えた普遍性を持っているのかもしれません。
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●参考文献
『東京大学のアルバート・アイラー―東大ジャズ講義録・歴史編』
→モダン・ジャズに、音楽理論的な新たな位置づけを与えています。
『ハード・バップ―モダン・ジャズ黄金時代の光と影』
→ハード・バップ史の基礎文献。今日から見ると誤った記述も少なくないが、時代的にはご愛敬というところだろう。