■MusicPC、デジレコ、青本の3誌に分裂したが……
そのDIGITAL MUSIC MAGAZINEも9号を発行し、2001年1月の号でMusicPCという誌名に変更して大きくリニューアル。フリーペーパーのコンセプトはそのままに、より初心者向けのMIDIを中心とした雑誌として登場させたのです。さらに、その時点では4月からDTMLIFEという仮称で上級者向けのフリーペーパーを出すことも想定してのスタートでした。
結果的には4月創刊予定だったDTMLIFEは2カ月遅れて6月にDIGITAL RECORDING MAGAZINE、=DiGiRECOは通称デジレコとして創刊。さらに同じ6月に通称青本という青い表紙のDIGITAL MUSIC MAGAZINEを復刊させたのです。この状況を見ても、一気にいろいろとやりすぎ、という感じがするわけですが、その状況をちょっと振り返ってみましょう。
まずMusicPCとデジレコはその後、2ラインナップのフリーペーパーとして見事に成功。コンセプト的に多少かぶるところはあったものの、着実に浸透していったのです。ただ、その2誌を出す目論見とともにあった、青本のほうは3号で休刊という失敗に終わったのです。これを実際に目にした方は非常に少ないと思いますが、実はこれフリーペーパーではなく定期購読型の有料誌だったのです。価格的には年間購読料が12冊で6,000円というもの。また、表紙にHELLO!MUSIC!という表記があったことからも分かるとおり、ヤマハ製品にターゲットを完全に絞った雑誌となっていたのです。さらに、詳細は私もよく知りませんが、当時赤本というものも企画されていたのですが、こちらは創刊すること自体ができずに終了。そしてその影響もあって、青本は3ヶ月で終わってしまったのです。当然年間購読料については、残り分を返済ということで、いろいろ大変だったようです。
まあ、そんな失敗にもめげず、MusicPCとデジレコは着実に知名度をあげ、DTM雑誌として確固たる地位を築き上げていったのです。広告代理店などの情報によれば、もはやDTM業界において、デジレコなどは無視できない大きな存在になっているとのこと。きっと、他誌にもいろいろな影響を与えているのだと思います。ライター陣の顔ぶれを見ても、知名度が上がるにつれて、他誌で活躍している著名な人たちの参加が増えており、それもひとつの人気となっていると思います。なお、私個人的には青本には参加しなかったものの、創刊以来ずっとお付き合いさせていただいており、デジミューがつぶれてしまったこともあって、MusicPCに誌名変更した時点から藤本健の名前で書いております。
そのように、進化していったMusicPCとデジレコの2誌ですが、DAWソフトが全盛になり、MIDIを使ったDTMの位置付けがハッキリしなくなったこともあって、Vol.32となる2004年1月号でこの2誌が合併し、デジレコ1本となりました。営業的な背景などについては、よく知りませんが、この名物社長のことですから、またきっと何かを企んでいるんだと思います。