Part2以降、ちょっと期間が空いてしまいましたが、DTM関連雑誌の足跡を追う連載の3回目の最終回です。今回は2000年に創刊されたミュージックネットワークのフリーペーパーDIGITAL MUSIC MAGAZINEがその後、MusicPC、デジレコなど形を変えつつも着実に力をつけてきて現在に至る過程を中心に、DTM各誌の位置付けについて見ていきます。
■DTM雑誌のフリーペーパーが誕生
2000年の3月、突然私の元に株式会社ミュージックネットワークの社長の三谷さんから「原稿依頼のご相談」というメールが届いたのが最初のことでした。それまで、そう親しいわけではなかったものの、MIDIシーケンスソフトメーカーの社長として何度かコンタクトをとったことはありました。そう、同社はもともとPC-9801用のシーケンスソフトを開発していたソフトハウスで、一時はカワイやヤマハのDTMパッケージのメインソフトともなっていたところです。
その三谷さんからのメールによると、DTM系のフリーペーパーの創刊を予定していて、まずはMP3関連の連載を担当して欲しいという話だったのです。やることがあまりにも唐突で、かなり驚きましたが、結局その実験的な面白さへの興味もあって連載を引き受けたのでした。創刊は4月でDIGITAL MUSIC MAGAZINEという名前になりました。そう、この名前は、これで3回目の登場だったわけです(1回目はこちらへ、2回目はこちらへ)。
ただ、前回の記事でも触れたとおり、当時はデジミュー(これもDIGITAL MUSIC MAGAZINEの略称という形でした)という雑誌を創刊したばかりでもあり、名前はペンネームで書き、それ以来ずっとのお付き合いとなっています。
無事創刊とはいえ、私も心の中では、フリーペーパーではさすがに続かないだろう、いいとこ半年持つかな、という程度で考えたいたのですが、予想外に高評で、微弱ではありながらも着実に広告件数も増え、ひとつのメディアへと仕上がっていきました。また、読者的にいえば、フリーペーパーながら64ページという厚さで、記事も非常に充実。増えたといっても広告数は普通の雑誌よりも少ないくらいですから、これが無料とは信じられないほどのものでした。