■DTM雑誌のフリーペーパーが誕生
2000年の3月、突然私の元に株式会社ミュージックネットワークの社長の三谷さんから「原稿依頼のご相談」というメールが届いたのが最初のことでした。それまで、そう親しいわけではなかったものの、MIDIシーケンスソフトメーカーの社長として何度かコンタクトをとったことはありました。そう、同社はもともとPC-9801用のシーケンスソフトを開発していたソフトハウスで、一時はカワイやヤマハのDTMパッケージのメインソフトともなっていたところです。

ただ、前回の記事でも触れたとおり、当時はデジミュー(これもDIGITAL MUSIC MAGAZINEの略称という形でした)という雑誌を創刊したばかりでもあり、名前はペンネームで書き、それ以来ずっとのお付き合いとなっています。
無事創刊とはいえ、私も心の中では、フリーペーパーではさすがに続かないだろう、いいとこ半年持つかな、という程度で考えたいたのですが、予想外に高評で、微弱ではありながらも着実に広告件数も増え、ひとつのメディアへと仕上がっていきました。また、読者的にいえば、フリーペーパーながら64ページという厚さで、記事も非常に充実。増えたといっても広告数は普通の雑誌よりも少ないくらいですから、これが無料とは信じられないほどのものでした。