■向谷実監修で、大きな予算をかけて創刊させたPC MUSIC
その後に十数年ぶりに登場してきたのは、ソフトバンクでした。DTM雑誌の世界にコンピュータ系の大手出版社としてかなりお金をかけて、大々的に登場してきたPC MUSICというもので、創刊は96年2月号。カシオペアの向谷実氏が完全監修という形で参加するとともに、イギリスのFuture Publishingが発行する雑誌Future Musicとも提携。また、多くのミュージシャンのインタビュー記事を毎号掲載するなど、かなり気合の入ったものでした。個人的にはこういう雑誌が出てくれると、DTM雑誌業界全体が盛り上がって嬉しいことだと思っていましたが、やはり使った予算の割に、部数が出なかったのか、これもちょうど1周年号の97年2月号で休刊となってしまいました。
ここで、寺島氏が抜けた後のコンピュータ・ミュージック・マガジンに話を戻しましょう。その後、電波新聞社の社員の一人が担当として加わることになり、彼と藤本のコンビを中心に新生コンピュータ・ミュージック・マガジンが動きだしたのです。基本的には毎号、藤本が特集記事を書き、新たに開拓した連載ライター陣が記事を書いたり、音楽データを制作していったのです。また、その少し後から毎号CD-ROMをつけることになったので、その制作も私が担当して、毎号発行していったのです。一時期、私が主導で、表紙を大きく変更し、だいぶカッコいいデザインになったこともあったのですが、会社側の指導で、約半年後にはインパクトのないものに戻され、徐々に部数を落としていきました。そして、Vol.104を持って休刊ということになってしまいました。
■コンピュータ・ミュージック・マガジンの休刊後、そのスタッフが中心に作ったデジミュー
それをキッカケに、電波新聞の担当者も退職。彼と元シナジーのメンバー、さらに藤本を加えた3名が中心となって、DTM雑誌を再度出そうという話が盛り上がり、出版に漕ぎ着けたのが99年7月に、あいであ・らいふのデジミューです。基本的にはコンピュータ・ミュージック・マガジンを踏襲しつつ、もう少し内容をポップにして出したのですが、やはり採算的に結構厳しく、結局Vol.7を最後に休刊となってしまったのでした。ちなみに、このデジミューとはDIGITAL MUSIC MAGAZINEの略で、表紙にはその表記がされています。この名前は、以前にもリットーミュージックが使っていたので、これが2回目ということになります。
といったところで、90年代のDTM雑誌の流れを見てきました。次回がこのシリーズの最終回ということで、フリーペーパーを中心とした新しいDTM雑誌の流れを見ていきます。
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