■コンピュータ・ミュージック・マガジンから分離独立したDTMマガジン
さて、コンピュータ・ミュージック・マガジンは寺島氏や、藤本、シナジーのメンバーなどの体制で約4年間、本作りをしてきたのですが、内部で方針の違いなどが生じてしまいました。やはり発行する側と編集する側での意見の相違が明らかになってきていたのです。その結果、寺島氏が独立し、94年6月、BNNからDTMマガジンを出すことになったのです。この表紙を見ると分かるように、Vol.0となっており、これ自体はプレ創刊号の扱い。実際の創刊号は7月号であり、それ以降、現在に至るまで月刊誌としてDTM界の中心的な雑誌としてその王道を歩んで来ているのです。ちなみに、当時BNN(BNNは2001年に事実上の倒産。その後、BNN新社という社名で書籍出版を中心に再スタートしている)からの発売でしたが、これは流通を迅速にかつ広く行うための戦略であり、編集・発行は寺島情報企画となっていました。しかし、その後、DTMマガジンが軌道にのってからは、寺島情報企画が発行元となって流通させるに至っています。
ところで、寺島氏が独立する際、ほかのメンバーは一部が寺島氏についていき、一部がコンピュータ・ミュージック・マガジンに残るという形になりました。といっても、このメンバー間に喧嘩があったというわけではありません。藤本は心情的には寺島氏を非常に応援していたのですが、ここで藤本が抜けるとせっかく育ててきたコンピュータ・ミュージック・マガジンが廃刊になってしまいそうであったため、とりあえず残ることにしたのです。またシナジーのメンバーは寺島氏が抜けるより以前に一旦シナジーに引き上げていたのですが、その後紆余曲折あって2名が寺島氏の元に合流したのです。
■6号で終了してしまった、リットーミュージックのDTM誌、SynQ
さて、そうしたDTMマガジン創刊という、ある意味の事件がおきる少し前、リットーミュージックではサンレコとは別に、DTM専門誌を出すというプロジェクトができ、SynQという雑誌がムックの形式で創刊されました。正式にはComputer & Music Synchronized Magazineというものでしたが、機材紹介やソフト紹介、また制作ノウハウ記事などが掲載されていました。正確なことは分かりませんが、部数的にはコンピュータ・ミュージック・マガジンやDTMマガジンと比較しても、そこそこの数が出ていたと思います。しかし、やはり大手出版社としての採算ラインに行かなかったということなのでしょう。残念ながら95年4月、Vol.6を最後に休刊となってしまいました。ちなみに、そのときの副編集長で実質的な取りまとめ役を務めた方は現在リットーミュージックの書籍の編集長となっており、私の著書である「CubaseSX/SL徹底操作ガイド」などを担当していただいている方でもあります。