Q:先生は「ひとと動物のかかわり研究会」などの活動もされていらっしゃいますが?
マルくん、お得意のお座り |
「僕は、(生活の中に)生き物がいて当たり前だと思っている。
この家は、トカゲや鳥やリスが屋根をはって歩く。
リスが天井に穴を空けて、こっちの茶室に、ある日雨も降ってないのに天井から水が落ちてきて。リスのオシッコだったの。」
「カラスが来る
ヒヨドリが来る
リスが来る…」
「僕なんて、それが普通の家だと思ってるんですよね。」
「変だよね、(団地やマンションとかで)人間だけで住むとか、虫も飛んでこないような高層階に住むとかイヤだね。」
「カラスが飛んできて、あの電柱、あれは終点の電柱なんだけど、あのてっぺんに何か隠している。時々やってきてはものを入れていく。
僕はそういう生活がごく当たり前だと思う。」
「人間と動物がどのように関わるのが一番良いか。
なんか、自然が一番良いんじゃないの?
なにもしない。
お互いにね、すれ違っているの。」
「ど~もね、僕は(自分の)思うようにしようっていうのが好きじゃないの。
しつけるとか。
むしろ動物が素直に暮らせるのが良い。」
「だから猫が飼いやすいの。
トイレの問題は大丈夫でしょ。
僕はね、猿を飼ったことがあるけど、猿はトイレのしつけができてないとどうしようもないからね。
とにかくイタズラするしね。
猫は学習能力があって知能が高い。
気を休めてくれる。
見ているだけで和む。」
「なんかね、(猫は)人が集中することがわかっているんだよね。
チロはTVとかの取材が来て、TVカメラが捕らえようとすると、真ん中に必ずいたの。
みんなの視線が集中する事がわかっているんですよね。
そいういうのおもしろいね。
説明しなくてもわかっている。
無意識に人間が(猫にわかるよう)やっているんでしょうね。
なんか人間からでている信号を感じている。」
「だから社会性があるんですよね。猫には割合に。
犬はもう典型的な社会性の動物だけど。
むしろ、群れの順位とか個体間の関係ていうけど。
猫の方がそういった技術性が高いでしょう。
勝手気まま、っていうか。」
「僕は、同じ空間を別の動物と共有することが当たり前のことだと思っている。」
養老先生とマルくん |
養老先生にマルくんとのツーショットをお願いしましたら「嫌がるんだよなぁ~。僕が抱くと」といいながらもまんざらでもない様子。
マルくんは、とてもしっかりした筋肉質の大きな猫さんですが、養老先生に抱っこされると子猫のような表情を見せてくれます。
そして、養老先生も目尻が下がって見えます♪
最後にもう一つ質問を。もし先生が猫だったら?
「僕はマルじゃないけど虫を見ているね(笑)。」
養老先生は、マルくん、飛んでくる鳥たち、リス、様々な虫たちを通して、心を自由に遊ばせることができる、永遠の少年のようです。
猫に選ばれた人たちシリーズの取材をさせていただいて、つくづく感じることは
猫を『ねこ』と理解している人と暮らす、幸せそうな猫の表情です。
猫は猫であって、それ以上でも、それ以下でもない。
猫って、こんな動物だから…と、猫に無用な期待をかけたり、意のままにさせようとしない。
それは、人と人との付き合い方も同じではないか?と考えさせられます。
あるがままを受け入れることからはじめれば、もっと人は人に優しくなれるのではないでしょうか?
動物は危険だとか、汚いとか、世話をするのが大変だとか…。
どんどん自然が切り崩されて、土や草木に触れる事が少なくなってきた都会に住む人々。
人と動物が当たり前のように一緒に共存する、これは現代の都会においては夢物語でしょうか?
養老先生とお話しした後、それは夢物語ではなく、当たり前の世界・それこそが普通の日常ではないか、と思いました。
人間も動物です。
言葉が通じなくても、習慣・習性が違っても、私たちは同じ地球の住人です!
猫がいてくれて良かった、と思える気持ち。
猫がくれる、そんな優しさに感謝。
マルくん、お庭を散策中 |
photo by Yamamoto
<関連リンク>
ひとと動物のかかわり研究会