前宮は、訪れる人もなく
ひっそりとしていた
ひと気のない森の中にたたずむ前宮 |
そしてここで、謎の立て札発見!
謎めいた説明が書かれた立て札 |
「……神秘にして原始的なミシャグジ神を降して、諏訪明神の重要な祭祀、神事を取り行った聖地である」
諏訪明神とはタケミナカタさんのはずだったのに、ここでは、ミシャグジ神という神様を降して祭祀を取り行ったのです。ミシャグジ神は、洩矢神と同一のものと見られます。ほら、やっぱり、外から来た神様よりも地元の神様のほうが優勢だったんだ。
確かにここには、
神の気配が漂っている
これが水眼。手に受けて飲んでみると、冷たくてとても美味しい |
しかし、ここではさすがに、神の気配が色濃いのを感じました。言葉ではうまく表現できないのですが、「うーん、確かにここには、なんかいるなぁ」という感覚でしょうか。聖地とされる山などに行くと、へんに気持ちがよくなり、ずっとここにいたいと感じたり、逆に何となく居心地悪く感じたりします。仏像と人との間にも、ご縁とか相性がありますが、土地の神様と人との間にも、きっと相性があるのでしょう。
そういう意味では、ここでのわたしは、すごく気持ちがよいというわけでもなければ、嫌いというわけでもありませんでした。つまり、ここの神様とわたしは、ちょっとすれ違っただけの他人の関係なんでしょうか。
前宮の御柱は、本宮の御柱よりもプリミティブな印象を受ける |
また、前宮の四隅にある御柱も、野趣あふれるものでした。素人の視覚的な印象では、「やっぱりこれは本殿の代用品ではなく、なんらかの呪術的な意味を込めたトーテムポールみたいなものだろう」と思えます。それと、まったくのぱっと見のイメージで、わたしは「ここの御柱は、まるで打ち上げを待つロケットみたいだな」と感じました。なんらかの形で、神様のいる天を目指しているのでしょうか。
●御柱の意味についてのいくつかの説は、こちらをご参照ください
次のページでは、代々、諏訪大社の神長官を務めてきた、守矢さんのお宅を訪問します。そこでわたしが見たものは縄文時代の祭だった!