寺・神社/東海・甲信越・北陸の寺・神社

縄文時代の謎解きツアー 諏訪大社後編(3ページ目)

ミステリーがいっぱいの諏訪大社の歴史、後半は縄文時代の謎解きに挑戦します。諏訪ではどうも、弥生人と縄文人の闘いがあったようです。縄文好きの岡本太郎さんが絶賛した石仏もご紹介。

吉田 さらさ

執筆者:吉田 さらさ

寺・神社ガイド

前宮は、訪れる人もなく
ひっそりとしていた

ひと気のない森の中にたたずむ前宮
観光バスがやってくる上社の本宮にくらべると、同じ上社のもうひとつの神社である前宮は、とてもささやかでひっそりとしています。下社の秋宮や春宮の華やかさと比較しても、前宮だけが、なぜか、そこらへんの村の鎮守さまくらいの見てくれと規模です。しかし実は、この前宮こそが、もともと諏訪の信仰の中心であったようです。

そしてここで、謎の立て札発見!

謎めいた説明が書かれた立て札

「……神秘にして原始的なミシャグジ神を降して、諏訪明神の重要な祭祀、神事を取り行った聖地である」

諏訪明神とはタケミナカタさんのはずだったのに、ここでは、ミシャグジ神という神様を降して祭祀を取り行ったのです。ミシャグジ神は、洩矢神と同一のものと見られます。ほら、やっぱり、外から来た神様よりも地元の神様のほうが優勢だったんだ。

確かにここには、
神の気配が漂っている

これが水眼。手に受けて飲んでみると、冷たくてとても美味しい
わたしは基本的にスピリチュアル系の人ではありませんし、霊感もほとんどないです。霊感が強かったら、お寺めぐりや石仏撮影なんぞ、とてもやってられませんからね。

しかし、ここではさすがに、神の気配が色濃いのを感じました。言葉ではうまく表現できないのですが、「うーん、確かにここには、なんかいるなぁ」という感覚でしょうか。聖地とされる山などに行くと、へんに気持ちがよくなり、ずっとここにいたいと感じたり、逆に何となく居心地悪く感じたりします。仏像と人との間にも、ご縁とか相性がありますが、土地の神様と人との間にも、きっと相性があるのでしょう。

そういう意味では、ここでのわたしは、すごく気持ちがよいというわけでもなければ、嫌いというわけでもありませんでした。つまり、ここの神様とわたしは、ちょっとすれ違っただけの他人の関係なんでしょうか。

前宮の御柱は、本宮の御柱よりもプリミティブな印象を受ける
しかし、お宮の前に流れている「水眼(すいが)」と呼ばれる水は美味しかったです。昔の人々が、前宮で神事を行う際に身を清めるのに使ったご神水なんだとか。

また、前宮の四隅にある御柱も、野趣あふれるものでした。素人の視覚的な印象では、「やっぱりこれは本殿の代用品ではなく、なんらかの呪術的な意味を込めたトーテムポールみたいなものだろう」と思えます。それと、まったくのぱっと見のイメージで、わたしは「ここの御柱は、まるで打ち上げを待つロケットみたいだな」と感じました。なんらかの形で、神様のいる天を目指しているのでしょうか。

●御柱の意味についてのいくつかの説は、こちらをご参照ください

次のページでは、代々、諏訪大社の神長官を務めてきた、守矢さんのお宅を訪問します。そこでわたしが見たものは縄文時代の祭だった!
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