寺・神社/東海・甲信越・北陸の寺・神社

古代日本の謎解きツアー 諏訪大社前編(4ページ目)

古代日本の謎を解く鍵は、歴史の古い神社とそこに祀られた神様にあります。信州の諏訪大社にも、日本という国の成立や、それ以前の縄文文化についてのミステリーがいっぱい。

吉田 さらさ

執筆者:吉田 さらさ

寺・神社ガイド

まずは、御柱を見てみよう

地元ボランティアの説明担当の方が、御柱祭の写真を見せてくださる
御柱祭は、七年に一度行われる、恐ろしく勇壮で大規模なお祭りです。諏訪大社の四つの宮の四隅には、それぞれに4本の巨大な柱が立っています。この柱は七年に一度新しいものに替えるのが決まりで、そのための巨木を遠く離れた山から運んでくるのが、御柱祭の骨子です。たくさんの人々が大木にまたがり、川を渡ったり崖をすべり降りたり。かなり危険で、毎回、死人すら出るほどです。
上社と下社では、少しやり方が違う。上社の御柱の先には、このようなメドチコというものがあり、ここにも人が乗る。ますますもって危険だが、そのスリルが魅力?

このお祭りは、少なくとも平安時代には行われていたという記録があるそうですが、その由来については、よくわかっていません。平安時代よりもずっと前の古代からあったという説が有力です。

御柱に関する三つの説

上社、本宮の一の御柱。どの神社にも、敷地の四隅に御柱が立っている
そもそも、御柱とは何であるか。これについても、確かなことはわかっていないようです。

その一
由緒ある神社では、本殿を何年かおきに建て替えることがあるが(伊勢神宮など)、こちらの神社には、構造上、本殿がない。そのため、柱だけを定期的に替えることにした。この説がもっとも有力だそうですが、いまひとつ、わたしにはピンと来ません。そういう後付けの理由ではない気がするのです。(あくまで素人考えです)

その二
トーテムポールのようなものである。トーテムポールとは、先祖の霊を祀るために立てる柱のことです。アメリカの先住民のものが有名ですが、日本の縄文遺跡などからも、似たものの跡が発見されるそうです。

その三
結界を示すものである。昔、タケミナカタさんが相撲に負けて諏訪に逃げてきたときに、「ここからはけっして出ないから許して」と、命乞いをしました。そのことから、神社を囲む4本の柱は、聖域と外の世界を区別する結界を示すものではないかという説もあります。
韓国の村には、昔、結界を示すチャンスンという人面を刻んだ柱が立っていました。それと同じようなものではないのだろうか。

わたしも、今回はじめてホンモノの御柱を見て、瞬間的に、「これはトーテムポールか、韓国のチャンスンのようなものなのでは」と感じました。つまり、二と三の説が、視覚的にはしっくり来ます。なぜかというと、諏訪大社が、伊勢神宮などとは、まったく雰囲気を異にする場所だからです。うまく説明できないのですが、ともかく、日本の伝統的な神社とは、どこかが確実に違うと感じるのです。
小さな祠の四隅にも、ほら、このように4本の御柱が

もっと驚くことに、諏訪大社のある近辺には、小さな祠のようなものも多く、そのすべての四方に、4本の小さな御柱が立っています。つまり、大小に関わらず、すべての聖域に御柱があるということです。ならばこれはやはり、本殿の代用品ではなく、なんらかの霊的なもの、あるいは結界を示すものだと思うのです。(再々すんません、単なる素人考えです)

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