日本の僧侶は、なぜ妻帯をするのか
潅仏会の準備をする韓国のお坊さん。お寺は派手だが、僧侶の生活は質素そのもの(韓国、修徳寺にて撮影) |
僧侶が女性と交わることは、むろん厳禁でしたが、それを守れる人は少ない。つまり、人はどれだけ修行をしても、煩悩から逃れることができないのだ。ならば、裏でこそこそやるのではなく、世の中に対して、正式に妻帯したと宣言するほうが潔い。それに対する非難は甘んじて受けよう。そういう考え方だったのでしょう。
これはあくまで私感ですが、仏教における「女性と交わってはならない」という戒律には、女性蔑視的な発想がかなり影響しているように思われます。女は煩悩の元である、修行の妨げとなる厄介者であるからして、タテマエ的にこれを排斥しておこう。だけどやっぱり、僕ちゃんは、ホントは女の子と付き合いたいもんね~。そうした矛盾を、親鸞さんは、自分の身を持って糾弾したのです。影で隠し妻を持つお坊さんよりも、ずっと男女平等で誠実な考え方ですね。ともあれ、このような経緯で、浄土真宗だけは、僧侶の肉食、妻帯が許される宗派となりました。
明治以降、僧侶の妻帯は
当たり前になった
明治のはじめごろにお触れが出て、それ以外の宗派の僧侶も、妻帯、肉食については、自由にしなさいということになりました。かくして、日本の仏教は、他の国とは違う、独自の形をとるようになったのです。もう、昔のような出家という考え方も通用せず、僧侶は財産も持つようになり、住職は多くが世襲制となりました。明治には、廃仏毀釈もあった
奈良、興福寺の五重塔。興福寺では廃仏毀釈が激しく、この塔も、あやうく売り飛ばされて焚き木になるところだったと言われる |
それまで檀家として寺に搾取されてきたと感じていた民衆たちも、その動きに同調して、各地で寺を壊したり、仏像や経典を焼いたりしました。日本の歴史上でもっとも大規模な宗教弾圧です。おそらく権力を持ちすぎた寺や仏教のあり方にも問題があったのでしょうが、そのときに壊された大量の文化財のことを思うと、胸が痛みます。日本には、今もたくさんの仏像や寺があるように思えますが、廃仏毀釈がなければ、現在の何倍もの優れた文化財があったはずだと言われています。
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