日本の寺は宗派によって
大きく性質が異なる
京都、蓮華寺の庭園。京都にはさまざまな宗派の寺があり、それぞれに見どころがある |
宗派が多く、それぞれに性質が違うということが、仏教周辺のさまざまな文化を生み出した理由のひとつでもあります。たとえば、密教系の宗派は多種多様な仏像、禅宗系の宗派は精進料理、茶道、枯山水の庭園などを生み出し、現代まで連綿と続いています。このように宗派が多くなければ、日本文化は、これほど奥深いものにはならなかったはずです。
時代ごとに変わっていく
日本の仏教
仏像とそのつくり方は、飛鳥時代に、百済から来た渡来人が伝えた(韓国、扶余の博物館にて撮影、扶余は、百済の最後の都であった) |
まず、飛鳥時代に百済の人が日本に仏教を伝えます。その後、遣唐使などの活躍や、鑑真和上の来日などもあって、学問としての仏教が広まります。が、それはあくまで支配者階級のものであり、僧侶が政治に介入して腐敗を招いたこともあって、奈良仏教が平安時代まで続くことはありませんでした。
日本では、仏教の発展とともに、仏像の種類も爆発的に増えた(京都、赤山禅院にて撮影した十一面観音像) |
鎌倉時代は、武士が勃興した時代です。天台宗の本山である比叡山延暦寺で修行をした栄西や道元が中国に渡り、臨済宗、曹洞宗の禅宗系宗派を伝えました。禅宗は、質実剛健な性質から、武士階級に人気がありました。同じく比叡山で修行した日蓮は、日蓮宗を開きました。これは、当時力を蓄えつつあった京都の町衆や芸術家などに人気がありました。やはり比叡山で修行した法然が浄土宗を、親鸞がその発展形である浄土真宗を開きました。これは、わかりやすくて戒律も厳しくなかったため、一般庶民にウケました。
その他にも細かい宗派はありますが、おおよそ、このような形で現在に続く宗派が完成しました。奈良時代を除けば、ほとんどのものが京都で成立したため、今でも京都のお寺をひとめぐりすれば、宗派による違いを実感できます。
桜で有名な京都の仁和寺。こちらにも宿坊があり、伝統的な仏教文化を体験できる |
「お寺に泊まる 京都散歩」
●また、仏像の形や種類にも、宗派や時代で大きな違いがあります。
その件に関しては、拙著「京都 仏像をめぐる旅」に詳しく書きましたので、こちらもお勧めです。
「京都、仏像をめぐる旅」
次のページはなぜ日本の僧侶が妻帯するかについて、さらに考察します。