寺・神社/北海道・東北の寺・神社

運気アップの東北旅行その2 瑞巌寺編(3ページ目)

前回の記事に続き、女3人の「開運、東北旅行」です。今日は松島の瑞巌寺へ。風水の先生のお言葉通りに旅をしたわたしたちには、その後、どんな幸運が舞い降りてきたのでしょうか。

吉田 さらさ

吉田 さらさ

寺・神社 ガイド

お寺、神社、仏像、宿坊に関する単行本と雑誌記事をメインとして執筆と写真撮影をしています。「散歩の達人」、「一個人」、「文藝春秋」。「クレア」など、幅広い読者層の雑誌に執筆経験あり。朝日カルチャーセンター新宿校にて「吉田さらさのふわり寺町めぐり」など、各種講座も開催中。

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ひとくちに観音様と言っても
いろいろ違いがありまして

西国三十三ヵ所のお寺は、わたしもずいぶんあちこちに行っています。それは、奈良の長谷寺とか京都の清水寺などの、有名な観光寺も多く含まれているからです。しかしまだ、すべてに行ったわけではなく、ここで観音様たちにお会いできるのが嬉しくてたまりません。
千手観音
如意輪観音

観音様は、仏様の中でももっとも変身がお上手で、いろいろに姿を変えて、人を救ってくださいます。だから、こちらにある石の観音様も、それぞれに形が違っていて、実に興味深い。また、西国三十三ヵ所の観音様は、多くが秘仏で直接拝むことができないので、ここで、「ああ、あの寺の観音様は、こんな姿をしているのか」と知るのも楽しいです。

また、石仏は、時間によって刻一刻と表情を変えるのも魅力で、それが写真撮影にハマってしまう理由でもあります。如意輪観音、十一面観音、千手観音。みんな大好き! 神社もいいけれど、やっぱりわたしは、基本的にお寺と仏像の人なんだなぁ。
見事な造形の千手観音。石仏はどう撮っても絵になります

ここは鎌倉にも似ている

この風景は、本当に鎌倉のやぐらにそっくり
そうこうしているうちに、わたしは、ここが、どこか別の場所も思い出させることに気づきました。京都、奈良、江戸と並ぶわたしの好きな街、鎌倉によく似ているのです。なぜかと言うと、観音様の背後に人工的な洞窟がたくさんあるからです。

鎌倉には「やぐら」と呼ばれる中世の武士たちの墳墓が数え切れないほどあります。それは、ちょうどこんなふうに崖を掘って洞窟を造り、その奥に人を埋葬し、石仏、石塔、石碑などを建てたものです。鎌倉の寺に行くと、わたしはいつもやぐらを探します。なんともいえない無常観が漂う不思議な雰囲気が好きなのです。そして、ここにある洞窟は、その鎌倉のやぐらにそっくり。なぜそうなんだろうといろいろ調べて思い至りました。なんと、北条政子つながりだったのです。

瑞巌寺は
時代によって変遷してきた

「お寺に泊まる 京都散歩」これを読むと、仏教と日本の歴史の関係がわかります
瑞巌寺は、今は臨済宗という宗派の禅宗の寺です。しかし、平安時代に創建された時は、天台宗の寺でした。同じ仏教でも、臨済宗と天台宗には天と地ほどの違いがあります。この件に関しては、拙著「お寺に泊まる 京都散歩」に詳しく書いたので、そちらをご参照ください。

簡単に言えば、天台宗、真言宗などの密教は、平安時代初期に導入された貴族のための宗派で、臨済宗、曹洞宗などの禅宗は、鎌倉時代に勃興した武士階級に好まれたものです。天台宗であったころのこの寺は、奥州藤原氏に庇護されていたのですが、源頼朝が、義経討伐のついでに奥州藤原氏も滅ぼしてしまいました。

瑞巌寺本堂。内部では絢爛たる襖絵などが見られます
そのとき、この寺は頼朝側についたので、その後源氏に保護され、ひいては北条氏に保護されるようになった、という経緯です。実際この寺には、北条政子の手紙と政子が寄贈した仏舎利があるそうな。鎌倉幕府五代執権、北条時頼は禅宗に傾倒し、天台宗の僧侶を追い出して、ここを臨済宗の寺としました。なるほど、この寺周辺が妙に鎌倉に似ているのも、これで納得。

その後この寺は荒廃しましたが、江戸時代に伊達家によって再興され、再び繁栄を見ました。ということで、現在の、瑞巌寺=伊達家というイメージが出来上がったのです。「寺の歴史は日本の歴史」。寺旅をしていると、いつもわたしは、そんな言葉を思い出します。

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