ひとくちに観音様と言っても
いろいろ違いがありまして

西国三十三ヵ所のお寺は、わたしもずいぶんあちこちに行っています。それは、奈良の長谷寺とか京都の清水寺などの、有名な観光寺も多く含まれているからです。しかしまだ、すべてに行ったわけではなく、ここで観音様たちにお会いできるのが嬉しくてたまりません。
千手観音
如意輪観音

観音様は、仏様の中でももっとも変身がお上手で、いろいろに姿を変えて、人を救ってくださいます。だから、こちらにある石の観音様も、それぞれに形が違っていて、実に興味深い。また、西国三十三ヵ所の観音様は、多くが秘仏で直接拝むことができないので、ここで、「ああ、あの寺の観音様は、こんな姿をしているのか」と知るのも楽しいです。

また、石仏は、時間によって刻一刻と表情を変えるのも魅力で、それが写真撮影にハマってしまう理由でもあります。如意輪観音、十一面観音、千手観音。みんな大好き! 神社もいいけれど、やっぱりわたしは、基本的にお寺と仏像の人なんだなぁ。
見事な造形の千手観音。石仏はどう撮っても絵になります

ここは鎌倉にも似ている

この風景は、本当に鎌倉のやぐらにそっくり
そうこうしているうちに、わたしは、ここが、どこか別の場所も思い出させることに気づきました。京都、奈良、江戸と並ぶわたしの好きな街、鎌倉によく似ているのです。なぜかと言うと、観音様の背後に人工的な洞窟がたくさんあるからです。

鎌倉には「やぐら」と呼ばれる中世の武士たちの墳墓が数え切れないほどあります。それは、ちょうどこんなふうに崖を掘って洞窟を造り、その奥に人を埋葬し、石仏、石塔、石碑などを建てたものです。鎌倉の寺に行くと、わたしはいつもやぐらを探します。なんともいえない無常観が漂う不思議な雰囲気が好きなのです。そして、ここにある洞窟は、その鎌倉のやぐらにそっくり。なぜそうなんだろうといろいろ調べて思い至りました。なんと、北条政子つながりだったのです。

瑞巌寺は
時代によって変遷してきた

「お寺に泊まる 京都散歩」これを読むと、仏教と日本の歴史の関係がわかります
瑞巌寺は、今は臨済宗という宗派の禅宗の寺です。しかし、平安時代に創建された時は、天台宗の寺でした。同じ仏教でも、臨済宗と天台宗には天と地ほどの違いがあります。この件に関しては、拙著「お寺に泊まる 京都散歩」に詳しく書いたので、そちらをご参照ください。

簡単に言えば、天台宗、真言宗などの密教は、平安時代初期に導入された貴族のための宗派で、臨済宗、曹洞宗などの禅宗は、鎌倉時代に勃興した武士階級に好まれたものです。天台宗であったころのこの寺は、奥州藤原氏に庇護されていたのですが、源頼朝が、義経討伐のついでに奥州藤原氏も滅ぼしてしまいました。

瑞巌寺本堂。内部では絢爛たる襖絵などが見られます
そのとき、この寺は頼朝側についたので、その後源氏に保護され、ひいては北条氏に保護されるようになった、という経緯です。実際この寺には、北条政子の手紙と政子が寄贈した仏舎利があるそうな。鎌倉幕府五代執権、北条時頼は禅宗に傾倒し、天台宗の僧侶を追い出して、ここを臨済宗の寺としました。なるほど、この寺周辺が妙に鎌倉に似ているのも、これで納得。

その後この寺は荒廃しましたが、江戸時代に伊達家によって再興され、再び繁栄を見ました。ということで、現在の、瑞巌寺=伊達家というイメージが出来上がったのです。「寺の歴史は日本の歴史」。寺旅をしていると、いつもわたしは、そんな言葉を思い出します。

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