世界遺産/インドの世界遺産

ブッダガヤ/インド(5ページ目)

『西遊記』の三蔵法師も目指した仏教四大聖地のひとつ、ブッダガヤ。紀元前6世紀前後、釈迦はこの地の菩提樹の下で、ついに悟りを開いてブッダとなる。今回はインドの世界遺産「ブッダガヤの大菩提寺」を紹介する。

長谷川 大

執筆者:長谷川 大

世界遺産ガイド

ブッダと仏教の基礎知識

マハーボディの基壇

多数の仏像が刻まれたマハーボディの基壇。初期仏教は偶像崇拝を禁じており、仏像が誕生したのはアレキサンダー大王のマケドニアが南アジアに進出し、ギリシア彫刻が伝えられて以降

ガイドにブッダの教えを伝えるほどの力はないが、その前提となる基礎知識を簡単に紹介しておこう。

日本だけを見ても様々な宗派があるように、同じ仏教でも世界には無数の種類があり、それぞれに伝わるブッダの教えは異なっていたりする。

実は、ブッダは記念碑的なものを作ったりとか、書物を書き残したりすることはなかった。人によって聞き方や理解の仕方が違うのでそれに応じて話を変えたし(対機説法)、自分のことは自らが考え感じることでしか解決しないと説いていたし(自灯明)、だから「これが真実」「あれを信じろ」というようなハッキリとした教えがあったわけではなかった。

神や悪魔の類や、天国や地獄といった死後の世界を語ることもけっしてなく、「人はこう生きなければならない」と思想を吹聴することも、ましてブッダ自身を信じろとか、すぐに人類を救おうとかいう考えもなかった。魂の輪廻転生とか地獄絵図とか、そういったものはすべて後世の弟子たちが作り上げたものなのだ。

そういう意味で、ブッダが語ったことは宗教でも思想でもなく哲学だった。その哲学の最大の問題のひとつは「人間の思考に限界はあるのか?」だ。

たとえば「無記」という言葉がある。神、死後の世界、霊魂、占い……こうした謎の存在をブッダはいっさい語ることはなかった。思考の限界を知っていたからこそ、それを超えた存在について語ることの矛盾を知っていたのではないか(語った途端、思考できるものになるから)。「語りえぬものについては、沈黙せねばならない」(ウィトゲンシュタイン著、野矢茂樹訳『論理哲学論考』岩波文庫より)ということなのかもしれない。

いずれにせよブッダはもともと聖人ではなかったし、まして神ではなかった。この辺りを知りたい人はぜひ自身で調べていただきたい。何よりブッダは自分自身で感じ考えることを極めた実践者だったのだから。
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