世界遺産/インドの世界遺産

ブッダガヤ/インド(3ページ目)

『西遊記』の三蔵法師も目指した仏教四大聖地のひとつ、ブッダガヤ。紀元前6世紀前後、釈迦はこの地の菩提樹の下で、ついに悟りを開いてブッダとなる。今回はインドの世界遺産「ブッダガヤの大菩提寺」を紹介する。

長谷川 大

執筆者:長谷川 大

世界遺産ガイド

世界中の僧が集まるブッダガヤの街並み

タイ寺

タイでよく見かけた形の僧院がなぜインドのブッダガヤに? ©牧哲雄

日本寺の大仏

見慣れた姿をした日本寺の大仏 ©牧哲雄

マハーボディに入ってみると、その理由がよくわかる。マハーボディにはたくさんの僧がいて、瞑想したり、祈りを捧げたりしているのだが、服装や祈り方は様々だ。

たとえば日本人の僧。彼らは日本のお寺で見かけるお馴染みの黒や白の法衣を着て、目をつむって座禅をしていたりする。ところがその隣では袖のない赤い法衣を着たチベット僧が、五体投地といって、腹這いになったり立ち上がったりをせわしなく繰り返している。金や赤の派手な袈裟を着て念仏を唱えている僧も多い。

 

ブータン寺の仏像

日本以外の仏像は派手なものが多い。こちらはブータン寺の仏像 ©牧哲雄

実はブッダガヤには、日本寺や中国寺、ネパール寺やブータン寺、バングラデッシュ寺からミャンマー寺にタイ僧院と、世界各国の寺が集まっていて、各国から来た僧たちがそれぞれの寺に寝泊まりして修行を行っている。東南アジアを旅したことのある人なら、こんな寺を見てまわるだけでも楽しめるだろう。

三蔵法師(玄奘)で有名な『西遊記』。彼らが目指したインドとは仏教の聖地の数々のことで、最大の目的地がこのブッダガヤだった。実際7世紀に書かれた玄奘の『大唐西域記』にはマハーボディのことも書かれている。

いまでも世界中から僧が集まる理由は玄奘と同じ。ここがブッダ成道の地だからであり、自分たちもまた悟りを開くために修行しているからだ。 

菩提樹と金剛座とマハーボディ

マハーボディのファサード(正面)

マハーボディのファサード(正面)。イスラム王朝の弾圧にあったりして19世紀に大改修される以前はかなり傷んでいたようだ ©牧哲雄

ブッダは自ら建物を建てたり本を書いたりと、何かを形にして残すことはなかった。ただ、ブッダガヤには菩提樹があった。4代目と伝えられているが、当時の菩提樹から挿し木をとった巨大な木が、いまも元気に枝葉を広げている。

その下にあるのが金剛座だ。ブッダが悟りを得たその場所に、アショーカ王が紀元前3世紀、仏教でもっとも重要な場所を記念するために置いた石だといわれている。

菩提樹と金剛石を守るようにその脇に建っているのがマハーボディだ。もともとこの場所には8本のストゥーパ(卒塔婆。塔)があったといわれている。ストゥーパとはサンスクリット語で墓を意味するとおり、そこにはブッダの遺骨=仏舎利が収められていた。アショーカ王は遺骨を取り出すと84,000に分け、各地にストゥーパを造って収めたという。

インドやスリランカ、ミャンマーにあるストゥーパや、日本にある三重塔や五重塔。世界中にある仏教の塔は、実はいずれもブッダの遺骨を収めるための施設なのである。

アショーカ王は古いストゥーパを解体した代わりに寺院を建てた。その後その寺院がどうなったのかハッキリしないが、現在のマハーボディは6世紀前後に建立された建物をベースに、19世紀に大改修したものといわれている(別説あり)。
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