ウィーンの歴史3 ハプスブルク家の没落と新生ウィーンの誕生

手前がオットー・ワーグナー設計のマヨルカハウス、奥がコモ・ローザ設計のメダイヨンハウス。ユーゲントシュティールの集合住宅

ホーフブルクのミヒャエル門 ©牧哲雄
ドイツではプロイセンが台頭し、これに対抗するためマリア・テレジアは宿敵フランスに接近。マリー・アントワネットをルイ16世に嫁がせるが、1789年のフランス革命でふたりとも処刑されてしまう。1806年にはナポレオンに敗れ、神聖ローマ帝国が消滅。やがてオーストリアはハンガリー帝国とオーストリア=ハンガリー二重帝国を成立させる。

自然史博物館 ©牧哲雄
1918年にカール1世が退位すると、ハプスブルク家はついに歴史の表舞台から消え去った。