「通訳者」という仕事をしようと思ったきっかけ
韓国語で仕事を、イコール「通訳」? という単純な発想でした |
語学堂6級の時に、開講式で司会進行兼通訳をしたことでしょうか。今はどうかわかりませんが、あの当時は、開講式で新入生に特に多い英語ネイティブと日本語ネイティブのために、司会進行兼通訳をそれぞれひとりずつ、英語は男子学生が、日本語は女子学生がやっていたんです。それを先生から指名されて、同じクラスで米軍勤務のアメリカ人男性とやらせていただいたのが思い出ですね。とてもやりがいがあって、満足感があったのを今でも覚えています。さらにそのとき私は奨学金もいただけたので、2倍の喜びでした(笑)。
Q:その後、なぜ通訳者を目指しましたか?
それがよくわからないのですが、やっぱり韓国語の響きに惹かれたのが出発点なので、韓国語で何か仕事を、イコール通訳、と単純に思ったのだと思います。でも最初に通訳の技術を学んだ通訳養成講座では、先生にうまくできない発音をどうしたらうまくなれるか?と質問したところ、「千回練習しましたか?」と逆質問されました。ガーンと殴られたような衝撃で、自分の甘さを思い知りました。そして勉強すればするほど、目標が遠ざかっていくような挫折感を常に味わっていました。
Q:通訳者になる前は、どんなお仕事をされていたのでしょう?
証券会社と銀行で勤務していました。通訳者になってから、韓国の某証券会社の日本研修の通訳をさせていただいたことがありました。そのとき兜町の東京証券取引所でも研修がありました。私が20代前半の時は証券会社の制服で会社のお使いで出入りしていたところでした。そんなところで通訳ができて涙が出るほどうれしかったし、金融経験があったからか通訳パフォーマンスも満足いただけたようでお褒めの言葉を頂戴し、飛び上るほどのうれしさでした。何の経験でもいつか役に立つんだなと思いました。
大学院時代、同時通訳の練習風景 |
韓国から日本に戻ってからは2年ほど韓国語を勉強しない期間があったのですが、25歳の時に東京の通訳養成講座に通い始めて通訳技術の訓練を開始し、29歳の時に韓国の梨花女子大学校の通訳翻訳大学院に進学しました。授業のない日も毎日学校に行って、同期と通訳の練習をしました。同期が韓国語の文章を読み、私がそれをメモして逐次通訳する練習などですね。共に苦労し、努力した仲間とは今でも頻繁に連絡を取り合ったり、仕事においてもお互いを助け合ったりしています。
次ページでは、嵯峨山さんが通訳者として、充実感を得られたり大変だと思われること。そして、日々どんなお仕事をされているのかについて、伺いたいと思います!