通訳者、嵯峨山みな子さん。同時通訳の合間にブース内にて |
今回インタビューをさせていただくのは、通訳者の嵯峨山みな子さん。嵯峨山さんは、日韓専門の通訳者として、韓流関連の芸能イベントや日韓企業の取引や会議など、他分野で活躍されています。また、翻訳者としてこれまで2冊の本を翻訳、出版。また、K-POPの日本語対訳などもされています。
今や難なく韓国語を操る嵯峨山さんも、私たちと同様、「カナダラ(日本語の‘あいうえお’)」から学ばれました。それをどうやって通訳ができるレベルまで引き上げられたのか。そして「通訳」「翻訳」というお仕事の大変さや喜びなどについてもお伺いしていきたいと思います。
韓国語への興味~上達するまでの課程について
Q:韓国語に興味を持った経緯を教えてください高校生の時、NHKで当時のノ・テウ大統領が韓国語でインタビューに答えているのを偶然見たんです。大統領の韓国語を聞きながら、「不思議な響きの言語だな」と思ったのがきっかけでした。
Q:それから、どのように勉強を始めましたか?
実際に勉強を始めたのは21歳のときでした。最初は、NHKのテレビとラジオのハングル講座で勉強しました。当然カナダラから始めました。その当時、韓国語学校に通うお金がなくて、NHKの講座ならテキスト代だけで始められるから、というのが理由でした。1年半、テキストを丸暗記するという勉強法で勉強し、その後、留学し、韓国の延世大学校の韓国語学堂に1年3ヶ月間通いました。
嵯峨山さんの韓国留学のきっかけになった『ケナリも花、サクラも花』(鷺沢萠著、新潮社)(クリックするとアマゾンのHPにとびます) |
そのときはNHKのテレビ講座とラジオ講座で勉強しているだけの日々でしたが、21歳の時に、鷺沢 萠さんの『ケナリも花、サクラも花』を読みました。鷺沢さんが韓国に留学したときの留学生活のエピソードがいろいろ紹介されていて、現地に行って勉強したら、もっと違う何かも勉強できるかもしれないと思ったからです。
Q:留学生活で楽しかったことは、どんなことでしたか?
世界各国から集まった人たちと習ったばかりの韓国語でコミュニケーションするのがとにかく楽しかったです。国に残してきた母親を心配していたチェコ人男性、夏のシーズンにアイスクリームを売ってお金を稼いで、そのお金で毎年秋学期だけ韓国に来て勉強しているというイタリア人のおじさん。将来は外交官になりたいけれど、本当にお金がないと泣く泣く帰国したフィリピン人男性。北朝鮮にも留学した経験があっていろんな北朝鮮の話を聞かせてくれた中国人外交官等、枚挙にいとまがないですね。
それから日本語母国語者に限って言うなら、日本全国の方言を聞けて、楽しかったです。私は神奈川県出身なのですが、関西出身の子と朝、登校していた時、坂を登りながらその子が「えらいわ」と言ったんです。「何かいいことでもしたのかな?」と思っていたら、関西では大変だっていう意味で「えらい」というらしく……。そういう一つ一つが新鮮でした。
「私もその本、読みました!」(ガイド幡野) と、インタビューは大変盛り上がりました |
辛かったのは私が最初に語学堂に留学した当時はよっぽど裕福な人以外はほとんどが下宿で、バス・トイレ共用が普通でしたのでそれで苦労しました。トイレットペーパーも各自のものを部屋から持参しないといけなかったので、少々面倒でしたね。あと、韓国人は自宅で浴槽に浸かる習慣があまりないので、たまに湯船に浸かりたいな、と思うこともありました。
それから同じ下宿の韓国人にお金をちょっと貸してくれと言われて貸したところ戻ってこなくて、その人のおじさんっていう人も同じ下宿にいたので代わりに返してもらったりしました。私も貧乏学生でしたので必死でした(笑)。
次ページでは、嵯峨山さんが通訳者を志したときのこと、どうやって勉強したかなどを伺っていきたいと思います!