いつもの社交辞令
企画書を週明けまでに出してもらいコンペの結果、発注するかどうかは翌週末の返事になると瑠璃子に伝えた。予定より早めに大方の話を終えて、利之は緊張感が解けた。瑠璃子も女子社員が運んだお茶をそっと飲んでくつろいでいるようだった。「もし、仕事が決まればの話ですが」と先に断ってから、「打ち上げの席を設けましょう。お酒はイケますよね? カラオケもいかがですか」と話を振った。瑠璃子はキラッと目を光らせて、「あまり賑やかなのは…」と婉然と微笑んだ。
「そうですか。じゃあ、カラオケも」
「ええ。カラオケはしないんです」
「そうですかあ。残念だな。じゃ、しっとりとロマンチックに飲むほうがお好きなんですか?」
「そうですね。フフ」
「ま、じゃあ、仕事が決まったときにはぜひ」
「あら、うちが受注できなかったらダメなんですか」
「え? いやあ、ハハハ」
「飯田さん、もしよろしかったら、いいお店がありますから今度ぜひご一緒に」
「アハハ。そうですね。北条さんみたいな美人とだったら酒もうまそうですよね。まあ、できるだけ美味しい酒を飲めるように、私も努力してみますよ」
と利之は笑顔で言った。瑠璃子がチラリと利之の左手を見た気がした。利之は結婚指輪をしてなかった。指輪の窮屈な感じがいやで、ほとんどしたことがないのだ。結納時にもらった腕時計をしているので、気分的にはそれが結婚指輪と同じ感覚だった。だが、世間的には指輪の持つ意味が大きいことをこのときは気づかないでいた。特に女性にとっては……。
私どもの力不足ですわ |
「いやいや。何をおっしゃるんです。それは話が違いますよ」
「いいえぇ。飯田さんのお蔭でこちらもいい経験をさせていただきましたし、今後ともよろしくお願いしたいという気持ちですから。それにお打ち合わせのときにお約束しましたでしょ」
と言われて、利之は戸惑った。約束などはしていない。ただ、仕事が決まったら打ち上げを、と言っただけだ。
「いやあ、仕事が決まればということでしたから」
「あら、ロマンチックなお酒を飲もうっておっしゃったじゃありませんか」
いや、そうは言ってない。
「えー、あのですね。そういうのがお好きですかとはおたずねしましたが」
「私、飯田さんがお酒を誘ってくださったのは、2人だけで飲むということで、それなりのお気持ちがあるからだと理解しておりましたのよ。こちらもその気になってますのに、言いだしたあなたが断るなんて、あり得ないでしょう?」
思いがけない展開に利之は、パニックになりそうだった
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