バレンタインデーに夫・春彦宛に届いた荷物は、系列会社からの出向社員・星野美穂からだった。しかし、春彦はその理由が分からない。麻季子は妻としてやはり気になる。そしてさらに困ったことが。
疑惑と当惑の狭間
気まずい空気 |
「まあ、夫がモテないよりはモテたほうがいいとは思うけど、自宅にまで送ってくるというのは、妻に対する挑戦みたい」
「うーん。しかし、分からないな。星野さんは仕事は出来るけど、おとなしいというか地味なタイプだし、色気はまったくないと言っていい。それに、北村君じゃないけど、もし好意を表しているようなら、オレだって気づかないはずはない」
北村隆二は春彦の同郷の後輩だ。モテるタイプで、女性から好意を受けている場合は気づくと言っていた。
「でも、ネクタイの話をしたんでしょ」
「ネクタイの話は女子社員は皆、知ってるさ」
「もしかして、カラオケであの歌を歌ったのを真剣に受け止めちゃったんじゃないの?」
「“アイ・ラブ・ユー”か? だけど、それだってお約束の歌だよ。社員なら誰でも知ってる」
「仕事中にかまいすぎたとか」
「誉めることはあっても、かまうってことはないよ」
「誉めるって?」
「部下は子どもと同じだ。叱るだけじゃない。誉めて成長してもらう。仕事が丁寧で速くて予定よりも早めにノルマを終えてくれりゃあ、誉めるさ」
「その人、誉められ慣れてなかったんじゃない? それで誉められたことに感動して、あぁ、いい人だわ、素敵、みたいになったとか」
「そんな単純なものかね。それにオレが結婚してることは当然知ってるわけだし。なぜ自宅にこんなものを送ってきたのかは、オレも分からないよ。当人に聞いてみなくちゃ」
「そうね。それが一番手っ取り早いわ。差出人の電話番号も書いてあるし」
「おいおい。まあ、落ち着けよ。それより食事しよ」
たしかに食事もそっちのけで届いた宅配便のことで言い合っていた。麻季子は気分を取り直してバレンタイン用に特別に準備した料理を並べた。息子の翔太も交えて一家団欒の食事を時間をかけて楽しんだ。デザートのチョコレートケーキは麻季子が毎年作っている春彦のお気に入りだ。翔太は生クリームをたっぷり載せて食べる。麻季子が食後の片づけをしている間、春彦はリビングで夕刊を読んでいた。キッチンの明かりを消して麻季子がリビングに戻り春彦の隣に座ると、テーブルの上にいくつかの包みがあった。
「あ、これ女子社員さんたちから? ホワイトデーのお返しは? いつものようにまた私が選ぶ?」
「そうだね。頼むよ」
「分かった。じゃあ、星野さんにも同じようにすればいいのね?」
ちょっと突っかかるような口調で春彦に言ってしまってから、麻季子は大人気なかったかと少し反省した。