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不要物に祟られない方法(3ページ目)

来たる秋冬の衣更を前に冬物衣類の処分その他、夏の残滓の処理にうってつけの季節。でもモノを棄てる行為にはいつも良心が疼いてツライ……そんな人の好いあなたに送る、不要物とサヨナラするときの方便とは?

藤原 千秋

執筆者:藤原 千秋

家事・掃除・子育てガイド

大チャンスを逃してしまったら……でも大丈夫!


前ページ提唱の、「残暑利用の棄て棄て衝動強化」は、いわば生理に訴えた原始的なアプローチでした。
でも人はもともと考える動物。生理のみでは動きません。

考えるからこそ、棄てたくもなり、棄てる気が失せる。この“思考”パターンを次には逆手に取ってみましょう。


私たちはともすると、家事全般(そうじとか片付けも含む)を、いささか低次な営みと認識しがちです。「なんにも考えなくてもできる」「頭が悪くたってできる」。
でもそれは大間違いです。

文献をあたると、昭和初期ぐらいまで「家事がきちんとできる」ということは、すなわち教育をしっかり施されているという意味と同義でした。

住まいをスッキリ心地よく、小奇麗に整える能力というのは、生まれつき身についているようなものというよりは、後天的に学習して身につける類の技能だと思ったほうが正しいのです。

技能習得には、基礎的な思想哲学および、実地訓練が不可欠。

いま巷にあふれる「そうじ」「片付け」ノウハウの殆どは、この実地訓練の一環として示されています。それはそれで必要なことで、大事なことです。

でもその「動き」にまで至らない、アタマデッカチ(或いは、真面目。心配性。ついでにオシリまで重い)諸氏の重~いアタマやオシリ、ココロには、それらを軽~くする強力な“方便”が必要であるのは、否定できないようです。

私たちは“エコロジー”に容易に反意を抱くことができません。実際に行動としているかどうかは別として、私たちには「もったいない意識」が恐らく、恐ろしく強く、多分もうDNAに刻み込まれています。

ゴミタメ部屋、汚部屋、ゴミ屋敷の多くは、汚くありたいと願う気持ちではなくむしろ、そのひと自分なりの“エコロジー”行為の果てにあるのではないかと最近、思います。周囲にとっては傍迷惑であるにしろ。

だって、なんとすれば、「もったいないオバケ」が出るのです。「そうじ」「片付け」と称して、モノを棄て過ぎると……。いわばそんなイデオロギー。

そう、本心を言えば怖いのです。モノに祟られるのではないかという恐れがある。例えば、誰かの遺品や、お守りなどのスピリチュアルグッズ、人形やヌイグルミの類が棄て辛くて困っている人って結構いらっしゃるんじゃないかと思います。それがどんなにかさばって、汚くて、棄てたくても、棄てるに棄てられない。

「怖くて。」

「怖い」ではなく「申し訳ない」という思いも「棄てる」を邪魔します。
私はゴミ部屋、汚部屋に住む人の多くは、すごく「いい人」なんじゃないかと最近、強く思います。その人の好さの発現が周囲にとって傍迷惑であるにしても。

でも棄てなければいけないとき。

大丈夫。そんなときは、好い人のあなたも、そうでもない私も、あらゆる不要物に対して、次のおまじないを唱えればいいのです。

「ありがとう。お疲れ様でした」

え、これだけ???




>>>次ページ>>>「礼儀正しく、不要物を棄てる」
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