国境を越える女性の手仕事
カントリードール、パッチワーク、トールペイント、クロスステッチなど、みなさんが楽しんでいる手芸のほとんどは、ヨーロッパやアメリカから来たものです。特にアメリカンパッチワークは、日本での歴史が浅く、注目され始めてやっと20年ほどの月日が流れただけにすぎません。それでは、元々のパッチワークは、いったい誰が考えたものなのでしょう?
実はアメリカンパッチワークは、フランスやイギリスで作られていたキルト作りの技術が元になっています。ヨーロッパで王侯貴族のファッションを彩っていたものが、アメリカに渡り、家族の洋服をつなぎ合わせてベッドカバーなどを作る、リサイクルの精神を得てアメリカンパッチワークとなったのです。アップリケや刺しゅうは、インドや中国から伝わったと言われています。
それにしても、いったいどのようにしてさまざまな手芸が国境を越えて融合し、これだけのファンを増やすに至ったのでしょうか?
20年以上のキャリアを持つパッチワークの先生方の中には、「夫の海外赴任により、そこでパッチワークと出会った」という方が多くいらっしゃいます。夫に付き従って、言葉も通じない外国に行き、慣れない環境で不安を感じている日々の中で見つけた心の安らぎが、パッチワークだったわけです。パッチワークを習いたいと思い、近所のアメリカ人の奥さんに教えてもらうことになり、そこで次第に言葉を覚え、同じ立場の日本人の奥さんとも一緒にパッチワークを楽しむようになって・・・。不安で寂しかった海外生活が、手芸のおかげで楽しいものに変わっていったのでしょう。そして、夫がまた日本勤務になり、戻って来た日本で今度はパッチワークを知らない人に教えるようになったわけです。ほんの小さな輪が、20年という短い歳月の間に、ここまで大きくなっていったのです。
決して、どこかの企業家が、「パッチワークを日本で流行らせて、ひともうけしよう」と考えて普及したのではないのです。そう考えると、手芸のいろいろなジャンルがこんなに世界に広がったのも、ヨーロッパからアメリカに渡った勇敢な婦人たちのような、女性が居たおかげですよね。
男性の仕事によって、住む環境を変えざるを得ない女性たち。今は仕事を持ち、自立した人々も多くなりましたが、昔は夫が海外に行くとなれば、付き従うのが妻として当たり前でした。しかし、見知らぬ土地で楽しむことを見つけ、コミュニケーションのきっかけをつかんでいった強くて素敵な女性たちが居たおかげで、私たちはいろいろな手芸を思い切り楽しめるのですよね。
そういえば、パナマ諸島のクナ族の手芸である「モラ」を研究なさっている、宮崎ツヤ子先生も、ご主人のパナマ赴任により、モラと出会ったそうです。こう考えると、アメリカに伝わったパッチワーク、ハワイに伝わったハワイアンキルト、すべての手芸は、海を越えた女性の手によって、少しずつ形を変えて伝わっていったのかもしれません。とてもロマンチックな話だと思いませんか? 偉大な女性たちに拍手。
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