
40代、50代と年を重ねれば、「シワが増えた」「白髪が出てきた」といった外見の変化は自然なことです。一方で、そうした変化だけでなく、「食べ方」「動作・姿勢」「話し方・考え方」といった日常の所作にも、無意識のうちに変化が表れることがあります。そのことによって、周囲にだらしなさや品のなさを感じさせてしまうのは考えものです。
あなたは、こんな“所作のゆるみ”を持っていませんか?
「老けた」と思われる食べ方
友人や大切な人と外食をする際、「スープは音を立てない」「迷い箸をしない」など、基本的なマナーに気をつけている人は多いと思います。ですが、無意識に“年齢を感じさせてしまう食べ方”や、“小さなルール違反”をして、相手をがっかりさせてしまうこともあります。
例えば、次のようなことをしているときは、気を付けた方がいいでしょう。
- 口に食べ物を入れたまましゃべる
- 背中を丸め、顔を料理に近づけるようにして食べる
- 食器を置くときにガチャガチャと音を立てる
- 鼻をすする、人前で激しく鼻をかむ
- お店の許可なく、料理の食べ残しを包んで持ち帰る
年齢を重ねると、「人にどう見られるか」よりも、「自分が快適か、合理的か」を優先する人が増え、つい「これくらいなら、いいでしょ!」と自分基準になってしまいがち。その結果、周囲への配慮が薄れていってしまうのです。
でも、その“小さな無頓着さ”が、思いがけず「老け見え」につながってしまうことはあるでしょう。
「老けた」と思われる動作・姿勢
加齢とともに、筋力と体力が落ちるのは仕方ありませんが、姿勢や所作に対して無頓着になってしまうと、「あぁ、もう年なんだな」と思われてしまいがち。
例えば、次のようなことをすると「老けた?」と思われやすくなります。
- ドスン! と勢いよく座ってしまう
- パンツスタイルだからといって、脚を大きく開いて座る
- 背もたれにドサッともたれる
- 立ち上がるときに「よっこいしょ」と言ってしまう
外出先でこんな行動をすれば、魅力が半減してしまいます。年齢を重ねるうちに、「もう、これくらいでいいか!」が増え、自分を雑に扱ってしまうことは、誰にでもあります。
でも、いくつになっても「品」は大事。それなりの“エレガントさ”は忘れずにいたいものです。
「老けた」と思われる話し方・考え方
加齢とともに「滑舌が悪くなる」ことは仕方ありませんが、言葉の端々に「心の老化」が出てしまうのは考えものです。
例えば、次のようなことをしていないか、注意が必要です。
- 「面倒くさい」「仕方ないよ」など、諦めの発言が増える
- 「最近の若い子は……」と世代をひとくくりにして批判する
- 「昔はよかった」と現在を否定してしまう
- 経験が増えるほど、「自分の知っている世界=正解」になってしまう(思考が硬くなる)
- 新しいものや他人の価値観を受け入れる余白がなくなる
- 人の話を聞かなくなる
年齢を重ねても「知らないこと」に興味を持ち、「自分と違う人」を面白がり、やりたいことにチャレンジすることが、若々しさにつながるもの。
時代によって価値観はどんどん変わっていきます。特に今後はAIの進化により、これまでにない変化が訪れる可能性があります。
「私の時代とは違うけれど、今はそうなんだ?」と、頭を柔らかくして、“変化を受け入れる柔軟性”を持っておくことは大切です。
ただし、「老けること」自体は悪ではない!
ここまで紹介したことの共通点は何かというと、「周囲への配慮がなくなる」「人からどう見えるかを意識しなくなる」「自分本位になっていく」ということ。
残念な人だと思われるのは、単に「老けること(年を重ねること)」ではなく、「エレガントさの減少」なのです。
そもそも、「老けること」自体は悪いことではありません。SNSでは、俳優の髪に白髪が数本見えただけで、「老けた」「劣化した」「以前と違う」と話題になることもありますが、誰だって年齢を重ねれば、少しずつ老いていきます。シワや白髪が増えたり、体型が変化したり、体力が落ちたりするのは、ごく自然なことなのです。
“年齢を重ねてきた証”を「老けた」と否定する世の中には問題があるし、女性が安心して年を重ねられるような、成熟した価値観のある世界になっていく必要はあります。
ですが、年齢を重ねながらも、所作や心の在り方に「品」を忘れないことは大切です。表面的に「若く見えること」ばかりを目指すのではなく、“感じよく年齢を重ねられる人”でいたいものですね。







