蓼科高原の魅力
◎ 花と展望:ピラタスロープウエイ
◎ 美術館・博物館:蓼科高原芸術の森・彫刻の森ほか
◎ レジャー施設:蓼科湖レジャーランドほか
◎ 露天風呂:鹿山の湯など6件・共同浴場
◎ アウトドア:ゴルフ・テニス・スキー・釣り・トレッキング キャンプ場
◎ 足を延ばせば 近くに「車山高原」「白樺湖」「霧ヶ峰」「蓼科中央高原」「奥蓼科」もある
このような、魅力溢れる蓼科高原。
今回は特に親湯周りの観光情報として
◎ 武田信玄ゆかりの地(滝の湯川の大滝・信玄の棒道)
◎ 小津監督が別荘として使った 無藝荘
を紹介しよう。
武田信玄の縁の地
●滝の湯川の『大滝』滝の湯川の『大滝』 |
この大滝は、彼の武田信玄公が、落下する水に打たれて戦略を練ったとつたえられているところ。
滝への道は、ホテル親湯から、 車道(車で約12分)を少し下ったところに。 案内板「蓼科大滝遊歩道周辺案内図」があるので。 左手の入り口から下る。
急な下り坂を歩くこと約22分。
「大滝」の看板を右手に曲がり、森が開けたところにいきなり、滝が 現れた。滝は落差7m幅15mという立派な滝!滝の上に木の葉が覆い被さり見事な景色となっていて、秋の紅葉の時期はさらに素晴らしい景色が見られるのだろうと思った。
この滝の湯川沿いの遊歩道は、大滝からは、滝の湯・プール平へと下る道だったが、上に車を停めていたので引き返した。
●棒道
メルヘン街道横谷峡の入り口付近にある「上の棒道」 |
棒道は山梨から八ヶ岳山麓を通り、大門峠・大門街道(国道152号線)へ抜ける。当時の痕跡は殆ど残っていないのだが、左の写真は、299号線の横谷峡の入り口付近にある「上の棒道」の立て看板(茅野市)である。また蓼科温泉のプール平から親湯に下る道も棒道のなごりと伝えられているという。
武田信玄の旗指物に記された旗印は「疾如風、徐如林、侵掠如火、不動如山」。戦国時代最強の騎馬軍団だったから、今でも残っていれば、風の如く駆けていった姿が目にうかぶようだ。
小津安二郎記念館 無藝荘
小津安二郎記念館無藝荘 |
火守人(ひもりにん)と囲炉裏 |
昭和29年夏、『東京物語』をつくり終えた小津監督は、コンビを組むシナリオライターの野田高梧氏の蓼科の山荘「雲呼荘」を初めて訪れました。八ケ岳の山麓に拡がる高原の自然と霊気にふれて、小津監督はたちまち気に入ってしまい、「水がうまい。洒がうまい。空気がうまい。」と、以後昭和38年に没するまで、野田高梧氏と、この蓼科高原にあぐらをかいて、数々の名作を送り出したのです。お二人は心からこの地を愛し、高原の生活を愉しみました。そして、何よりも仕事に打ち込みました。蓼科高原は、小津映画のこころのふるさとであり、ここ蓼科から晩年の多くの名作が生まれたのです。(蓼科高原映画祭から一部転載)
「雲呼荘」は、もう残っていないが、小津監督が使った仕事場「無藝荘」は、もとあった場所から移転し、当時のたたずまいを留めた姿(茅葺き屋根の家)を「プール平」に保存・公開している。
無藝荘を訪れた時は、近くの温泉宿に泊まった団体客がいて、居間で説明会が行われていた。話の途中だったので説明は聞かなかったのだが、上がり口に囲炉裏があって、おじいさんが火の番をしていた。後で聞くと、「火守人(ひもりにん)」という名札を付けていて、市のボランティアとして、この記念館を守っており、案内もされている方だという。 家の中のは昔懐かしい「五右衛門風呂」もあった。
また、蓼科高原・茅野市で、平成10年「小津安二郎記念・蓼科高原映画祭」がスタートし、映画を通しての文化・人的交流が図られている。
⇒ 今年は、第9回目が平成18年11月3日(前夜祭)~5日の日程で開催
《関連サイト》:
・蓼科高原/茅野市観光連盟
・メルヘン街道の紅葉 黄金色に輝くカラマツの黄葉!
・蓼科温泉ホテル親湯「赤ちゃん大満足プラン」 - [子連れ旅行]
・制作:06/07/03