1899~1901年、アーティスト前衛期
人が大好きで絵を描いているとき以外は常に誰かと一緒にいたというピカソ
後にピカソの親友、秘書となった彫刻家、作家のジャウマ・サバルテスの肖像画「退廃的な詩人(Poeta decadente)」も見物。頭にバラの冠を被ったサバルテスを描いた作品です。サバルテスをモデルにした作品は数々ありますが、どれも皮肉やジョークを交えたものだそうで、かなり近しい二人の間柄が伺えます。
1901~1904年パリのピカソ 青の時代
1901年にパリで初の個展を開き、その後パリに移住。ピカソが世界に羽ばたく第一歩を踏み出したパリ時代の始まりです。「縁日の小屋(barraca de feria)」は、街中に設置された小さなサーカスの様子ですが、群集の中で手前の女性のみが絵画目線で正面に移っている、遊び心ある作品。パリ初期の作品はパリの夜をテーマにしたものが多いとあり、「抱擁(el abrazo)」は、ピカソのアトリエがあったモンマルトル地区の自由や奔放さを象徴した、男女の抱擁を描いたものです。
その後は、親友の自殺にショックを受けて青をベースに娼婦やアーティストを描いた、青の時代。バルセロナに展示されているものは比較的明るい色を使っている作品が多いです。例えば「待つこと(la espera)」またの名を「マルゴット」という作品は、ゴッホに影響を受け、黄色が目立つ壁を背景に、華やかな赤い洋服を着た娼婦の画。パリの画廊の展示会に出展し、ピカソが国際的に知られることになった、有名な絵画です。
「演目の最後(el final del número)」は、パリでピカソが虜になったキャバレーの世界を描いたもの。出演者の女性が笑顔で客席に挨拶する様子が描かれています。
1905年~1906年、ばら色の時代
1904年にフェルナンド・オリヴィエと知り合ってから、もの悲しい青の時代から一転、明るい作風に変わりました。「ばら色の時代」といっても、キャンパス全体が青色の作品が多かった青の時代と違って、キャンパスをピンク色でいっぱいにするということはなく、肌の色などほんのりピンクに染まったようなぬくもりが感じられる色調になったということだそう。「カナルス夫人の肖像(retrato de la señora Canals」では、うっすらとピンクに染まった夫人の頬のあたりにばら色の時代が感じられます。1917年バルセロナ
フランスに移ってからもちょくちょくバルセロナを訪れていたピカソ。その時期に大の闘牛好きで知られる彼が描いたのが「角で突かれた馬(caballo corneado)」。セピア色の布に黒鉛の鉛筆で描かれた死を目前にした馬の絵画です。後にスペイン内戦を描いた「ゲルニカ」の原作となった作品だとか。「コロン通り(el paseo de Colon)」は、バルコニーから見たコロンブスの塔を描いた作品で、今も昔も変わらないバルセロナの街並みが感じられる作品。
押さえたい作品当館の目玉
さて、他の作品に比べ、展示スペースを大きくとって紹介されているピカソ美術館の注目作品は、プラド美術館にあるベラスケスの「女官たち(ラス・メニーナス)」をピカソがアレンジした作品群。一人のモデルをあらゆる角度から捉え1つのキャンパスに収めるという、ピカソが確立したキュビズム法で描いた作品です。とってもカラフルで奇想奇天烈な、私たちがイメージするピカソらしい作品群。1957年に南仏のカンヌで描いた「小鳥たち(los pichones)」。アトリエの前に広がる景色を描いた爽やかな作品です。
ピカソ老年期と版画
ピカソの死後、当時の妻と元妻一人は自殺してしまったとか
2008年に増設された版画専用の部屋では、素朴なタッチの作品がたくさん見られます。
なんと98歳まで生きたピカソ、油絵、デッサン、版画、挿絵、彫刻や陶器も含めて4万5000点以上もの作品を残したと言われています。その中でこの美術館で出会えるのはほんのわずか。お見逃しないように!
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■El Museo del Picasso(ピカソ美術館)
住所:Montcada 15-23 Barcelona(Googleマップ)
TEL:(34) 93 256 3000
開館時間:9:00~19:00(木曜~21:30)
閉館日:月曜、1月1日、5月1日、6月24日、12月25日
入館料:11ユーロ(木曜18時~、第一日曜は無料)
アクセス:地下鉄4号線Jaume I 駅徒歩6分