歌舞伎を見たことがなくても面白い『国宝』の魅力4つ
では、次に歌舞伎を知らなくても楽しめる『国宝』の魅力をお伝えします。魅力その1:映像と音楽が美しい
冒頭、長崎・丸山の料亭で開かれた立花会の新年会から突如起こるヤクザの抗争。雪が象徴的に使われ、美しい映像美に引き込まれます。上映時間は175分ですが、まったく中だるみはありません。
劇中で登場する、喜久雄が演じる歌舞伎の演目は『積恋雪関扉(つもるこいゆきのせきのと)』『藤娘(ふじむすめ)』『二人道成寺(ににんどうじょうじ)』『曽根崎心中(そねざきしんじゅう)』『鷺娘(さぎむすめ)』の5つです(練習風景にはさらにほかの演目も)。原作ではもっとたくさん出てきますが、本作ではこの5つが効果的に使われています。
特に『二人道成寺』と『曽根崎心中』は、2人の成長に応じて2回演じられ、吉沢亮と横浜流星は歌舞伎を演じつつ、そのときによって異なる技術を使い主人公の心情を表すという大変難度の高い演技を披露しています。

『二人道成寺』を踊る2人 ※画像:©吉田修一/朝日新聞出版 ©2025映画「国宝」製作委員会
撮影はソフィアン・エル・ファニ。歌舞伎を知り尽くしているわけではなく、むしろこの作品で初めて歌舞伎に触れたという新鮮な視点が、美しい動きを余すところなく描き出してくれました。
音楽は原摩利彦。歌舞伎で演奏される鳴り物だけではなく、ヴィオラ・ダ・ガンバというチェロに似た楽器の音が不思議にマッチし、深く心に刻まれていきます。
魅力その2:喜久雄と俊介と共に成長する吉沢亮と横浜流星 『国宝』が映画化され、キャストが歌舞伎とは縁のない人気若手俳優と聞いたとき、喜久雄と俊介が歌舞伎を演じるところは歌舞伎俳優の方がいいのではないかという意見も多く出ました。なぜ歌舞伎役者を使わないかという問いに李相日監督は「歌舞伎役者だとうま過ぎるので、喜久雄、俊介と共に高みを目指していくために普通の俳優がいい」といったことを語っていました。

花井半二郎の息子・俊介(横浜流星) ※画像:©吉田修一/朝日新聞出版 ©2025映画「国宝」製作委員会
主演の吉沢と横浜は約1年半にわたり歌舞伎の所作を学び、撮影に臨み、共に成長していき、そしてそのまま喜久雄と俊介の成長物語に重なるのです。これは李監督の大変な「仕掛け」であると感じました。
魅力その3:嵐の中の小舟のように「血」と「才能」に翻弄される運命
そして魅力的なのは何といってもストーリーです。新聞小説が原作だけあって、ジェットコースターのように次々といろいろなことが(原作ではさらに)起こります。その都度、俊介と喜久雄は立場が逆転したり、手を取り合ったり、嫉妬を隠せず憎んだり、離れたり、絶望があり希望があり。それでも互いに求め合わずにはいられないのは、歌舞伎の魅力に取りつかれ、互いをリスペクトしているからでしょう。

絶望し、離れ、共に生き、そして…… ※画像:©吉田修一/朝日新聞出版 ©2025映画「国宝」製作委員会
魅力その4:ありそうでありえない虚構とリアルを楽しむ
ついこの人のモデルは誰だろう? 今いる歌舞伎役者で女形で人間国宝はこの人しかいない!などと推察したくなる気持ちは分かるのですが、安易なモデル探しはやめておいた方がよさそうです。田中泯が演じた万菊は、昭和の名優中村歌右衛門に似ており、一声聞いてそのしぐさを見ただけでゾクっとするほどでした。ただ、この役のモデルはこの人とすぐに断定できるほど、シンプルなものではありません。
約400年の歌舞伎の歴史の中では「ぜいたくが過ぎる」と江戸払いとなり、江戸の舞台に7年間も立てなかった役者もいました。舞台上で刺殺された役者もいました。人気役者でありながら脱疽(だっそ/感染症ややけど、凍傷などにより組織の一部が壊死すること)のため右足を切断、その後左足、両手先を切断するという悲劇を味わいながらも舞台に立ち続け多くの人を魅了した役者もいました。『国宝』に出てくる登場人物は、言ってみれば歌舞伎の歴史400年の流れの中に存在した幾多もの歌舞伎役者たちなのです。
役者たちの名前もいそうでいないものばかり。劇場も本物の名前が出てきたと思ったら、まったく違う名前で出てきたり。歌舞伎通であれば、歌舞練場、そして国立劇場が画面に出てきて胸がいっぱいになるでしょう。役者たちの名前もとてもそれっぽいですが、実際の名前と重なることはありません。
小説『国宝』に出てくる数々の名跡(みょうせき/代々継承される名字・家名など)も、現在あるものとダブってはいけないということで『歌舞伎俳優名跡便覧』(歌舞伎の名跡の代々を網羅したデータ)の索引ページを基に姓と名を組合わせたといいます。限りなく本物っぽいけれど、実在の名前ではないというのも納得です。
本作のように実子がいながら部屋子に名跡を譲ったり、大きな名跡を継承しながら、歌舞伎界を追放され、地方でドサ回り(地方巡業)をしたり、顔を殴り合ったりするのも今の時代ではありえません。満身創痍の『曽根崎心中』では、お化粧がボロボロになりながら花道を引っ込んでいく描写などもフィクションならでは。このシーンについては、ある歌舞伎役者さんが「実は観客はきれいな2人の演技を見ている。映像で2人がボロボロなのは、2人の心象風景なのではないか」と言っていて、なるほどと感じました。どんなにプライベートでつらいことがあっても舞台に立ち続ける俳優ならではの感想ですね。
一方リアルな部分といえば、花井半二郎の妻・幸子を演じた寺島しのぶです。寺島しのぶは七代目尾上菊五郎の長女で弟は八代目尾上菊五郎。息子の尾上眞秀は歌舞伎役者としてデビューをしています。歌舞伎座での初日では、よく映画の幸子のように御贔屓にあいさつをしている様子を見かけることがありますから、本当にリアルでした。
また小さな頃から歌舞伎役者の家に育ち、表も裏も知り尽くしているだけでなく、女性というだけの理由で歌舞伎役者になれなかったという悔しい思いも抱えています。母として、芸を継承していく家の女将として、強くたくましく、時には気持ちを抑え、時には怒りをぶつけていく幸子を演じた寺島しのぶは、作品に厚みを加えていたと思います。
最後にもう1つ、虚構ながら非常にリアルだと感じたのは、美術監督、種田陽平が手掛ける美術です。劇場を本物らしく見せるだけでなく、物語の展開や時代によって細やかに美術を変えています。歌舞伎役者の家の中もとてもリアルで、茶漬けをかきこみながら語り合う半二郎と幸子夫婦の姿は、昭和の役者の家はさぞかしこうだったのだろうと感じさせるものでした。
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