歌舞伎の見得とは?

歌舞伎の演技というと「見得」を思い出す方も多いのではないでしょうか。役者は身体の動きを止めて、首を回すようにしてから最後にグッと睨むような表情をします。このとき舞台の上手(客席から向かって右側)では“附け打ち”と呼ばれる専門職のスタッフが樫の木の板に拍子木のようなものを打ちつけて効果音を付けます。見得の附けは二回打つのが基本で、これを歌舞伎の世界では一組の音と捉えて「バァーッタリ」と呼びます。『ここでバァーッタリ』という言い方をした時は『ここで見得』という意味をあらわします。
みえとは

見得とは


見得は舞台という遠近感をコントロールできない空間におけるクローズアップの手法だと言えるでしょう。演技の起源には諸説ありますが、客席がザワザワしていた江戸時代の芝居小屋では、特異な動きと音によって観客の視線をそこに集めようとしたという説が印象に残ります。

見得のエネルギー

「見得」は単に止まっているわけではありません。むしろ、そこには目に見えないエネルギーが満ち溢れていることを感じとって頂きたいところです。

「見得」は流れを強引にせき止めることで、いっそう強く激しいエネルギー表現しているのだと私は考えます。たとえ波が打ち寄せる岸壁などを思い浮かべると分かりやすいかもしれません。穏やかに見える波が岸壁でせき止められた途端、飛沫(しぶき)をあげて岩肌を打つエネルギーがあらわになりますね。

こうしたエネルギーのあらわれは見得の瞬間の写真だけを見ても、特徴的な表情は印象に残るものの、なかなか理解できません。役者の全身の、最後に極まる(きまる)瞬間までの動きも含めて「見得」だからです。見得の上手な役者、たとえば中村吉右衛門、エネルギーのうねりがザワザワと沸き起こって静止する瞬間へ向けて高まっていくのが手にとるようで、本当にワクワクします。

また「見得」のときは呼吸も詰めるのが原則です。身体の中にエネルギーをとどめ、それが時として、劇場中を支配してしまうほどの迫力を生み出すのです。ですから「見得」の時に、何かの拍子で息が抜けてしまうと、そうしたときはエネルギーが零れ落ちてしまい、本来あるはずの迫力を減じてしまいます。例えば目一杯チカラを出すときなど、やはり息を吐いてしまうとチカラが抜けてしまうのと同じことです。

見得の目

表情も注目したいポイントです。左目と右目が異なるところを向くという一種異様な表情です。
みえのさいのとくちょうてきなめのうごき

見得の特徴的な目の動き


これには天と地をにらむという意味や、どこも見ないことで光を受けるのではなく放射するのだという説明などがされています。役者さんによると、子どものころからの訓練で出来るようになるというのですが、本当に驚かされます。写楽の浮世絵などにも、その表情が描かれていますが「本当に浮世絵と同じ顔だ!」とビックリすることでしょう。

むかしバラエティ番組で市川染五郎さんが紹介していた見得の簡単なやり方をご紹介しておきます。
これであなたもにらみができるかも

これであなたもニラミができる?


特別な「ニラミ」

こうした「見得」の中でも、さらに特別なのが「ニラミ」です。これは市川團十郎家(現在であれば海老蔵のみ)の専売で、襲名などの祝儀などの際に「祝賀」として行うものです。江戸の頃から「ご見物の皆様の厄を落とす」という意味があり、團十郎家に備わった「神性」を象徴しています。團十郎に睨んで貰えば一年間無病息災で過ごせる、という伝説もあるほどです。口上などの特別な場で「ひとつ睨んでご覧にいれましょう」と宣言してのニラミはまさに呪術的であり、江戸歌舞伎の象徴なのです。当代の海老蔵はニラミが抜群に上手いひとで、まさに「これなら厄が落ちそう!縁起物だ」と思えるものです。出来ることなら毎年、海老蔵に睨んでほしいくらいですね。
いちかわだんじゅうろうけだけのにらみ

市川團十郎家だけのニラミ


見得の色々

「見得」とひとくちに言っても、場面によって、芝居によって数々の工夫があり、その種類は数えきれません。中には固有の名前が付いているものもありますが、それはほんの一部で、役者たちがいかに歴史の中で多くの工夫と伝承を続けてきたのか驚かされます。こちらにはそのうちのごく一部を図解で紹介して、本記事を終わりたいと思います。
しばらくのげんろくみえ

「暫」の元禄見得


かんじんちょうのいしなげのみえ

「勧進帳」の石投げの見得


しゅんかんのかんうみえ

「俊寛」の関羽見得


なつまつりなにわかがみのみえ

「夏祭浪花鑑」の中の見得(束に立つ、という立ち方)


※なお「見得を切る」という表現は、本来は間違いで「見得をする」というのが正しいそうです