「涙も出ないほどに、辛いことがあったのよ」 と語る馬越先生 |
愛する夫との別れ
実はね、私が36歳のとき、夫が癌で亡くなってしまったの。子供はまだ 5歳と 3歳だった。みじめだったわ。途方にくれて、言葉も出ないほど落ち込んでいました。アメリカのホストファミリーが私を呼んでくれて、夏休みに子供ふたりを連れて渡米したの。そしたら元気になっちゃってね。アメリカって、いろいろな人がいるじゃない?エイズで亡くなった人もいれば、元気にしていても、離婚してひとりで子供を抱えている人もいる。
人間はひとりで生まれてくるし、死ぬときもひとり、なんて考えたらふっきれたものがあったのね。
主人が会社を経営していたものだから、社長夫人がだめなら、社長になってしまおうと思い、小さいけれど会社を作ってしまったの。
教育への目覚め
その後、上智大学で非常勤で同時通訳を教えることがあり、初めて教壇に立ったの。このとき、教育に目覚めてしまったのね。時給で考えると、通訳をしているときの10分の1以下にしかならなかったけれど、とても楽しかったのよ。通訳は基本的には言葉を置き換えればいいわけじゃない?自分のオリジナリティーは限りなくゼロ。教壇に立つと、そうはいかなかった。自分でものを考えてしゃべらなくちゃいけないでしょ。新しいことに挑戦したくなったのかもしれないわ。
友人で助教授をしている人がいたのよ。私も教授になりたいと思い、本屋に行って、「大学教授になる本」というのを手にとって読んだり、いろんな人に相談したりしたの。40を超えてから博士号を取ったという人にアドバイスをもらったりしたわ。
私は、当時、39歳で大学院に入ったの。
大学院は入るとき、もちろん不安はありましたよ。「生活どうなるんだろう?」って、、、。でも、「どうにかなるわ」って腹をくくったの。
考えてみれば、いろいろな方にお世話になり、人に引っ張りあげてもらったわ。
―― そんな中、お子さんもすくすくと順調に育ったんですね?
子供の反抗期から学ぶ
反抗期は、しっかりありましたよ。でも、子供が反抗してくれたおかげで、得たものもあるのよ。あまりに順調に育っちゃうと、世間に対して批判的になってしまうことってあると思うのね。「子供がぐれるのは、親が悪いからだ」というような世間の風潮ってあるじゃない?でも、子供の反抗期を経験し、乗り越えることによって、私も世間一般の人の気持ちがわかるようになったし、思いやることもできるようになったわ。
さぁ、最後は、馬越恵美子先生から読者の皆様へアドバイスをいただいてまいりました。⇒⇒⇒