何をするでもなく、ただただぼんやりと時間が過ぎていく毎日
住宅街のカフェで、高齢男性が……
彼らのテーブルの前には、ホットかアイスのコーヒーを頼んだと思われるカップもしくはグラスがひとつずつ。何かを食べた形跡もない。そして彼らは何もしていない。他のひとり客はみな何かをしている。30代くらいのサラリーマンはパソコンで仕事をしているし、アラサー女性は書類を読み込んでいる。学生らしき若者はスマホを凝視する。だが、転々と座っている年配男性たちはみな一様に、あらぬ方向を見つめているのだ。何をしているわけでもない、誰かを待っているわけでもない。おそらく70代半ばくらいの男性たちである。
一方で奥のほうに座っている同世代の女性グループは、わいわいと楽しそうだ。何やら習い事をしている人たちらしく、「グループ展を開く計画」を話し合っているようだ。意見が飛び交い、そのたびに笑い声も飛ぶ。男性ひとり客たちとの表情の違いが顕著で、なんともいえない気持ちになった。
父の憂鬱「今さら何をすれば……」
「わかります。うちもそうなんですよ」そう言うのはコズエさん(40歳)だ。彼女には後期高齢者となった父、70代に入ったばかりの母がいる。
「自宅から1時間ほどのところに両親が住んでいるんですが、私も仕事と家庭があるので、なかなか実家に立ち寄れなくて」
だが先日、母が友だちと旅行することになり、父がひとりでどうしているか心配になって、平日、午後休をとって実家に行ってみた。
「そうしたら父が居間でぼーっとしているわけです。何をするでもなく。ごはんはどうしているのと聞くと、夕方、コンビニに行っておかずを買うと。冷凍庫をあけたら母が惣菜などをパックに入れて置いていってる。でも解凍するのが面倒だと。そのままレンジで解凍できるのに……」
ずっと家にいるのかと尋ねると、ときどき散歩に出ると父は答えた。散歩ルートにはやはりチェーンのカフェが入っており、そこで一休みするのだそう。
「思わず、お父さん、何か趣味でも作ったら? と言ってしまいました。地域のサークルとか、それほどお金をかけなくてもできることがある。うちの母はもともと社交的で、長く仕事もしていたから友人が多いんです。でも夫の母はずっと専業主婦だった人。その義母が義父の定年後、やたらと習い事をするようになった。
『お父さんとずっと家にいるのは息がつまるのよ』と私にこっそり教えてくれたんですけどね(笑)。習い事じたいも楽しいし、この年で友だちができたのもうれしいと言っていました。だから父も何かやってみたらいいのにと思ったんです」
すると父は「今さら何をすればいいんだ」と怒ったように言った。定年退職して、その後は別の会社で70歳まで働いていた父。だが母に言わせれば「まじめだけど人望がないのよね、お父さんは。だから友だちもいない」ということだった。
誰とも話さず、1日中ぼんやりする日常
70歳で仕事を辞めてからしばらくは、図書館に通っていたようだが、それもつまらなくなったのか、ここ数年は誰とも話さず、日がな1日ぼんやりしていることが多いらしい。一方の母はほぼ毎日、出かけて夕方戻って食事の支度をする日々。父との生活はやはり息がつまるのだろう、ときどき女友だちと旅行する。「お父さん、何かしたいことはないのと聞いてみたら、そんなこと考えたこともなかったというんです。仕事を辞めてからのことを何も想定していなかったんでしょうか。母がああいう性格だから、母とどこかへ行ったり何かをしたりできるはずもないのはわかっていたと思うんですが、仕事を辞めたら母が付き合ってくれると思っていたのかしら。すごく不思議なんですよね。仕事がなくなったあとの自分の生活をどうして何も考えていなかったのか」
75歳は「人生の分かれ道」なのか
後期高齢者になる75歳。ここはある意味で「人生の分かれ道」なのかもしれない。ここ数年、75歳まで生き延びられずに亡くなる有名人が多かった。体力的にも精神的にも何かが変わるのがこの年齢なのかもしれない。「やっぱり人と交わることって大事ですよね。母はめいっぱいスケジュールが入っているのに、最近、地域のボランティアも始めたそう。生きることに前向きな母と、何もしない父。そりゃ母のほうが楽しそうですよ」
とはいえ、その話を夫にしたら、夫は「お父さんが外に出たくない、人と交わりたくないというなら、それもまたひとつの生き方かもしれないよ」と言ったそうだ。
「誰でも外で活発に生きるのが向いているわけじゃないと夫は言うんです。でも父は、今が楽しいと思っているわけでもないと思うと言ったら、楽しいだけが生きる目的でもないって夫が。まあ、人それぞれですから、父がいいと思うならいいけど、端から見ていると歯がゆい気がしますね」
病気でもないのに、やることがないシニアの1日。やることがないのか、やる気力がないのか。いくつになっても「希望」を自ら持たない限り、人生は虚しいのではないかと思えてならないとコズエさんはため息をついた。