僕は、以前、予備校で英語を教えていました。
予備校の授業期間は9ヶ月。この間に、生徒たちが大学に合格するように指導しなければなりません。彼らは、英語のみならず、数学や国語、理科に社会の勉強もしなければなりません。本当にまじめに英語を勉強する生徒でも300時間から500時間がせいぜいです。
彼らは受験に失敗しています。よりレベルの高い大学を受験したいために、浪人生活を送る生徒もいますが、大半は、どこの大学も受からなかった生徒たちです。一学期の授業はもう大変。文法用語を使えば拒絶するし、単語・熟語はろくに覚えていません。模擬試験を受ければ成績は散々。
ところが、一部の受験をあきらめた生徒たちを除けば、夏休みくらいから、どうにか受験生らしくなってきます。模擬試験でもそこそこの成績をとるようになったりします。
夏休みの時点で彼らが英語に費やした時間は、120時間から200時間。サラリーマンの一週間の労働時間が40時間とすると3週間から5週間分の時間を勉強に費やしたことになります。英語ができないといっても、実はたいしたことはないのです。たった3週間から5週間の就業時間分の差が、成績に現れているだけなのです。
秋以降、本格的にエンジンのかかった生徒たちは、上位校に合格できるだけの偏差値をコンスタントに取るようになります。英語の苦手な生徒でも、投げ出さなければ、平均以上の偏差値はコンスタントに取るようになります。
冬休み以降、追い込みの時期、模擬試験はないので、偏差値の推移はわかりませんが、彼らはどうにか志望する大学や、満足できる大学に入学していきます。
大学に合格した彼らでも、英語に費やすことのできる勉強時間はトータルで見ると、300時間から500時間。就業時間に換算すると、8週間から12週間。実際に、これだけの差しかありません。
もちろん、語学は若いうちに勉強した方が身に付きやすいのは事実です。しかし、多少の記憶力の衰えは、今まで培ってきた人生経験や社会人としての要領の良さでカバーすることは可能です。
入試のための英語と社会人に求められている英語は多少は違いますが、英語コンプレックスを時間に換算すると、さほどのものではありません。英語ができないといっても、時間という観点で見れば、差は些細なものです。自分は英語ができると思っていても、アドバンテージはさほどのものではありません。
英語に対してコンプレックスを持つ必要はないのです。