最年少で「名人」と「七冠」を同時に獲得した藤井聡太
2023年6月1日。初戴冠から六冠獲得までのすべてで、最年少記録を更新してきた藤井聡太が、渡辺明を破り、名人と七冠の2つを手に入れた。これもまた史上最年少(20歳10か月)での達成だった。
棋士にとっての20歳とは
プロ棋士を目指す場合、まず「奨励会」という養成機関に入る必要がある。各地で名を轟かせるアマ強豪ばかりの中でのチャレンジで、大体が小学生~中学生頃までに受験をする。
その超難関を乗り越えた奨励会員たちを待ち受けている最初のハードルが、「満21歳までの初段獲得」だ。これをクリアしないと、退会になるという厳しい規定がある。ちなみに奨励会の初段とは、アマなら六段から七段に相当し、アマ全国大会優勝も狙える棋力である。
そして初段となっても満26歳(条件によっては29歳)までに「四段」となれなければ、やはり退会となり、プロ棋士への道はほぼ断たれることとなる。
そんな厳しい世界のなかで、20歳の藤井聡太は初段どころか、最高峰の「名人」に就位してのけたのだ。
「名人」という重み
獲得後の会見で藤井は語った。
「名人という言葉にふさわしい将棋が指せるように一層頑張りたい」
藤井をして、こうまで言わしめる「名人」とは何なのか? 名人とは将棋400年の歴史の中で生まれた初の「称号」だ。そして世襲制だった名人位が、勝負によって競われる実力制となったのが1935年のこと。これが現在、8つあるタイトル戦の始まりだ。
次に制定されたのが現在の「竜王」。名人と竜王は格別の冠位とされ、複数のタイトル保持者であっても名人や竜王を持っていれば、その称号で呼ばれる。つまり、藤井は七冠保持者でありながらも、「藤井聡太竜王・名人」となる。
ちなみに竜王と名人、どちらが上なのか? と聞かれれば言葉に窮してしまうが、竜王は「最強棋士」の称号、名人は「最高棋士」の称号だと筆者は答えたい。
将棋400年の歴史から見た「藤井聡太」とは
これまで、藤井のことを多くの対局者が語ってきた。また、藤井の生い立ちから現在までを追った番組も製作された。しかし、個人的にどこか物足りない気がした。藤井は将棋400年の歴史から語るべき存在なのではないか、そう思ったのだ。
そこで、『将棋400年史(マイナビ出版)』の著者である野間俊克氏に話を伺った。野間氏は1964年生まれ、将棋史研究の第一人者であるとともに、指導棋士六段として後進の指導にあたっている。また、藤井がタイトルを持つ「棋王戦」の観戦記を担当し、執筆活動にも精力的に取り組まれている。
藤井聡太は「救世主」であり「完全無欠な棋士」
――まず、藤井さんという存在は将棋400年の歴史の中で、どんな存在だとお考えですか?
野間俊克氏(以下、野間):「救世主」だと思います。
――意外な言葉ですね。「超天才」「怪物」「最強」などをうっすらと予想していましたが……。どういうことでしょうか?
野間:当時コンピューターの進化により、カンニング騒動まで起きてしまい、将棋界はお先真っ暗になっていました。しかし、藤井先生の出現がすべてをふっとばしてくれたのです。まさしく「救世主」です。
――将棋ソフトのカンニング騒動が起きたのが2016年10月。メディアも批判的で、棋界に対する不信感が満ち溢れました。藤井さんのデビューが同年10月1日。驚くほどの一致です。そしてデビューから29連勝という新記録を樹立。6カ間負けなしで、世間の目を引き付けました。藤井さんがいなければと思うと、愛棋家としてはぞっとします。たしかに「救世主」ですね。では、先日の王将戦(2023年1~3月)で戦った羽生善治さんなどの歴代名人と比べると、いかがでしょう?
野間:私は、羽生先生のような方には、自分が生きている間はお目にかかれないと思っていました。しかし、違いました。ご覧の通り「完全無欠の大棋士」が生まれたのです。
――つまり、将棋という歴史はその存亡の危機に、藤井聡太という「救世主」を用意し、「完全無欠な力」を与えたと? たしかに藤井さんは、タイトル戦での勝率8割という驚異的な記録を残しています。相手がどんな戦法を選ぼうとも、どんな持ち時間の対局であろうとも完璧に対応しているからこその結果です。羽生さんでさえ、勝率7割ですから。
野間:例えば、算数の九九なら、普通の人は2×2から9×9までです。藤井先生は、354×783というような掛け算でも、一瞬で答えが出るのではないでしょうか。詰将棋を解く速さがすごいのは、詰将棋解答選手権で実証済みです。普通の人が紙と鉛筆で計算している間に、一人だけ電卓を使っているようなものでしょう。
――なるほど。棋士における思考の「完全無欠さ」を「電卓の正確さと速さ」で例えていただいたわけですね。対局中のメンタルな面でも、藤井さんの「完全無欠さ」は表れていますか?
野間:今回の名人戦も自玉の危険度を正しく図り、渡辺先生を上回りました。普通なら、自玉が危ないので選びにくい変化でも、ぎりぎりの順に飛び込んでいきます。藤井先生は、先手なら角換わり腰掛け銀の定跡形を好んでおられますが、それでいて、自分なりの工夫というか、独自の手順を盛り込まれている印象です。
なので、同じような戦型になっても、飽きがこないというか、次はどんな手が出るのだろう、とわくわくさせてくれます。まさに、魅せる将棋ですね。
羽生先生は若いころ、「羽生にらみ」と言われるように、対戦相手をちらっと見られるようなしぐさがたまにありました。また終盤になると駒音が高く、勝ちを意識すると、駒をぐりぐりと将棋盤にめりこむような手つきも有名でした。
藤井先生には、そのような感じは見られません。闘志は、内に秘めるタイプでしょうか。手つきも、対局開始から終局まで、全く変わらない印象です。ただ、自分の負けを悟ると、悲しい表情になるというか、がっくりされるので、対戦相手からすると、分かりやすいかもしれません。まあ、めったに負けることがないのですが……。
――最後に、八冠達成についてはいかがお考えですか?
野間:完全無欠な藤井先生には、今のところ誰もかないません。しばらくは、この状態が続くのではないでしょうか。とにかく誰かが番勝負のタイトル戦で倒さない限り、独り舞台です。今の棋士で、そのような人がいるようには思えないので、八冠誕生も十分可能ではないかと予測します。
藤井聡太の今後に期待すること
将棋400年の歴史が次に藤井聡太に用意するものは何なのかーー。野間氏の言葉をヒントとして、筆者なりに期待を込めて言わせてもらうならば、全タイトル戦での「全勝」である。1敗もしない勝率10割、これこそが究極の完全無欠。未来永劫、破られることのない記録だ。夢のまた夢である。だが、藤井をもってすれば、手の届く現実に感じられてしまう。我々は、将棋400年の歴史に愛された棋士をライブで見ているのかもしれない。そう思うと、これからもますます藤井聡太から目が離せない。
※プロ棋士の活動は公的であると考え、インタビュー以外の文中では敬称を略しています
※段位、タイトル数などは2023年6月上旬時点
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