「アミロイドβは脳のゴミ」? わかりやすそうでも、実は適切ではない解説
アルツハイマー病の原因物質と考えられている「アミロイドβ」。しかし「脳のゴミ」と表現するのは危険かもしれません
認知症の主な原因疾患であるアルツハイマー病がなぜ起こるのか、その発症機序についてはまだ解明されていません。しかしアルツハイマー病の脳内で観察される特徴的な病変の一つ「老人斑」を構成している「アミロイドβタンパク(Aβ)」が毒性を発揮し、脳の神経細胞を徐々に死滅させることで、記憶障害などが生じるだろうと考えられています。この考えは、「アミロイド仮説」と呼ばれ、現在のアルツハイマー病の治療法を開発する上での、有力な手がかりとされています。
アルツハイマー病の治療薬開発に関心が集まる中、各種報道でも「アミロイド仮説」が取り上げられるようになりました。多くの方に関心を持っていただけることは、喜ばしいことと思います。ただそうした動きの中で、私が一点気になることがあります。それは、アミロイドβについての説明で、「脳のゴミ」という言葉が多く使われるようになっていることです。
専門用語になじみがない一般の方々にも分かりやすく伝えることは、メディアの大切な役割でしょうが、分かりやすさを求めるあまりに、誇張したり歪曲して伝えることがあってはならないと思います。「脳のゴミ」という表現は、バラエティ―番組や健康情報誌などだけでなく、大手新聞社や大学発信のプレスリリースなどでも散見されるようになってきました。恥ずかしながら、私自身も、分かりやすく説明しようとして、同じような表現を使ったことがありますが、やはりこの表現はできるだけ使わない方がよいと思います。その理由について、わかりやすく解説します。
健康な人の体内でも常に産生されているアミロイドβ
「アミロイドβタンパクとは…アルツハイマー病の原因物質と考えられている理由」で解説したように、アミロイドβはアミノ酸40~43個からなる小さな鎖状のタンパク質です。アルツハイマー病の原因物質として注目されているので、発病した人だけの体内にあるように思う方が多いかもしれませんが、実は健常人の体内でも常に産生されています。私たち人間の細胞中には、遺伝情報を含んだ染色体が23対(46本)ありますが、そのうちの21番染色体上には、「アミロイド前駆体タンパク質(APP: amyloid-beta precursor protein)」をコードする遺伝子があり、これが翻訳されて作られるAPPは、アミノ酸が639~770個つながった大きなタンパク質です。このAPPに、特定のタンパク質分解酵素(βおよびγ-セクレターゼ)が作用して切断されると、アミロイドβができるのです(参考:「アミロイド仮説が支持される3つの理由と治療薬開発の課題」。健康な人の体内でもアミロイドβが常に産生されていることには何か意味があるはずですが、実はその生理機能はよくわかっていません。アミロイドβは、当初アルツハイマー病に特徴的な脳病変である「老人斑」の構成成分として見つかったことから、悪者だとみなされてきましたが、その後の研究から、実は私たちの健康を守ってくれる、有益な物質かもしれないと考える研究者も増えてきました。
アミロイドβの役割は? 脳を守る役割がある可能性も
アミロイドβが有益な物質であることを示唆する知見の一例を紹介しましょう。2016年、アメリカのマサチューセッツ総合病院の研究グループは、人間のアミロイドβ関連遺伝子を導入することでアルツハイマー病のような脳病変を引き起こすように改変されたネズミ(マウス)を用いて、脳内に致死量のチフス菌を感染させる実験を行い、その生存期間を普通のマウスと比較しました。すると、なんとアルツハイマー病マウスの方が、長生きしたのです。そして脳を解剖して調べたところ、アルツハイマー病マウスの脳内には、蓄積したアミロイドβの塊の中にチフス菌が閉じ込められていることが確認されました。また、線虫を用いた実験も同様に行い、アミロイドβが体内で産生されるように改変された線虫は、チフス菌やカンジダ菌に感染しても長生きすることが分かりました。この結果は、脳内に侵入した細菌やカビ(真菌)をアミロイドβが封じ込めることで、私たちの脳を守ってくれることを物語っています(Sci Transl Med, 8(340): 340ra72, 2016)。
アミロイドβには毒性があります。その毒性が私たち自身が持っている神経細胞などに向けられたときには、アミロイドβは「悪者」として働くことになるかもしれませんが、普段はむしろ私たちを守ってくれる「味方」なのかもしれません。
おそらくアミロイドβには、まだまだ未知の役割があるに違いありません。それを「ゴミ」の一言で片付けてしまうのはいかがなものでしょうか。
少しなら役立つものでも、多すぎるとゴミになる
アミロイドβの役割を考えるうえで、もう一つ意識しておく必要があるのは、その量です。たとえば、みなさんがお店でお弁当を買ったときに、1本の割り箸をもらえると、そのお弁当を食べるのに使えて役に立ちますね。しかし、割り箸が一度に100本も1000本も渡されたらどうでしょうか。必要以上にあるものは邪魔になりますし、ゴミとして捨てたくなるでしょう。他の生活用品でも同じで、どんなに役立つものでも、不要な量をたくさん買い過ぎるとゴミになりますね。
アミロイドβも同じではないでしょうか。常に産生されている以上は、有意義な役割があるものと思われます。しかし、多すぎたときに、要らないもの、つまり「ゴミ」になるではないでしょうか。このことを理解しないで、「すべてのアミロイドβ=ゴミ」と決めつけるのは適切ではないと私は思います。
思い込みは柔軟な発想の研究を妨げる
最後に、アミロイドβ=ゴミと決めつけない方がよいと私が主張している理由が、もう一つあります。現在進行中のアルツハイマー病治療薬の開発は、とにかくアミロイドβを減らせばよいという考えで進められている場合が多いようですが、もしアミロイドβが有益な役割をあわせもっているとしたら、単にアミロイドβを減らしただけでは、かえって不都合なことが起きるのではないでしょうか。たとえば、上で紹介したようにアミロイドβが感染に対する防御に役立っているとしたら、アミロイドβを減らしてしまうことで感染症に弱くなってしまいます。
アミロイドβを「不要なもの」と決めつけてしまうことは、適切な治療法を開発する妨げにもなります。もっと広い視野をもって創薬研究を行うためにも、関係者は言葉遣いに慎重になるべきです。