認知症

認知症の記憶障害、昔の記憶は正確なのはなぜ?忘れる順番・記憶のしくみ

【認知症研究者が解説】認知症に含まれる記憶障害では、昨日の出来事を覚えていなくても、昔の思い出はしっかり覚えているということが起こります。昔の話も作り話ではなく、ほとんど正確です。記憶を忘れる順番や、記憶のしくみについて、脳科学的に解説します。

阿部 和穂

執筆者:阿部 和穂

脳科学・医薬ガイド

『リメンバー・ミー』のココ、認知症でも忘れなかった「古い記憶」

認知症における記憶障害の特徴

昨日のことは覚えていなくても、生き生きと思い出話をする……認知症における記憶障害の特徴とも言えます(画像はイメージ)

ピクサー製作の映画『リメンバー・ミー』は私の好きな映画のベスト3に入る作品です。日本では2018年に公開されたCG映画で、アカデミー賞2部門を受賞したので、観られた方も多いことでしょう。陽気でカラフルな死者の国を舞台に、音楽を通して家族の絆を描いた作品です。

当時、私は家族と一緒に映画館に行って観たのですが、最後の方にとても感動的なシーンが用意されていました(以下、物語本編の内容に少し触れます)。主人公の少年ミゲルのひいおばあちゃんにあたるココは、100歳近い高齢でほとんど言葉を発することもなくなりすべての記憶を失いかけていました。しかし、ミゲルがギターを弾きながらある歌を歌いだしたとたん、ココのこわばって動かなかった顔に赤みがさし、微笑みながら同じ歌を口ずさみます。この歌は、ココが幼い頃、大好きなお父さんから歌ってもらった曲だったのです。めったに泣かない私の目から、不覚にも大量の涙が溢れてきました。その後テレビ放映された時にも、同じシーンを見るとやはり涙が溢れてきました。

ココは、日々起こる出来事を何一つ覚えられず、目の前にいる家族たちのこともよく分からなくなってきていたのに、もう亡くなってしまった昔のお父さんとの思い出は、脳の中に残っていたのです。脳科学的に分析すると、ココの症状は、アルツハイマー型認知症に典型的な記憶障害と言えますが、どうしてココは昔の記憶を失っていなかったのでしょうか。
 

記憶の中枢「海馬」のダメージ……「忘れる」ではなく「覚えられない」

認知症の原因となる病気はたくさんありますが、その中で、脳神経変性疾患の一つアルツハイマー病は、神経細胞の変性・脱落が「海馬」から始まるのが特徴です。

海馬は、大脳辺縁系の一部で、大脳皮質側頭葉の内側に、左右一対横たわるようにある脳部位です。「脳の海馬の働き・機能…記憶や空間認知力に深く関係」で詳しく解説したように、体験した出来事の記憶を作るのに必要不可欠な役割を果たしています。より具体的には、海馬が行っているのは「記憶すべき情報の選別とコーディング」です。

私たちが見たり聞いたりしたことや、体験した出来事に関する情報が海馬に入ってくると、その情報は一時的にしばらく海馬の中に保存されます。その間に、同じ体験を繰り返したり、振り返って思い出そうとしたりすると、海馬は「これは大事な情報だから残しておいた方がいい」と判断します。そして、選別された情報だけが別の脳の場所へと転送されて、「忘れない記憶」となるのです。海馬が「不要」と判断した情報は、転送されず、まもなく海馬からも消えてなくなり、「覚えていない」となります。

また、「必要なもの」と判断されて海馬から出て行く情報は、記憶として残すのに適した形に書き換えられてから、記憶の貯蔵庫である脳の様々な場所に送られます。このプロセスを「コーディング」と呼びます。

アルツハイマー病を発症し、海馬がダメージを受けてしまうと、こうした記憶を作る過程が成り立たなくなりますので、日々体験する出来事が何一つ頭に残らなくなるのです。「忘れる」のではなく、そもそも「覚えられない」のです。このような記憶障害を、専門的には「前向性健忘(ぜんこうせいけんぼう)」と言います。

ココは、老化あるいはアルツハイマー病のような病気のせいで海馬が働かなくなってしまったために、前向性健忘を生じていたのでしょう。
 

においや音で蘇る古い記憶……認知症で記憶障害でも残る「思い出の倉庫」

幼い頃のココの脳は健康に育ち、大好きなお父さんと過ごした思い出は、しっかりと海馬を通り、「覚えておくべき記憶」として、海馬とは別の記憶の貯蔵庫にちゃんとしまいこまれたことでしょう。年老いて海馬が働かなくなっても、お父さんとの思い出がしまいこまれた脳の場所が壊れていなければ、その記憶がなくなることはありません。

私たちは日々忙しくしているときには、大事な事でも「忘れた」と感じることが多いですが、一度記憶の倉庫にしまい込まれた情報は、原則として一生消えることはありません。「忘れた(消えてなくなった)」のではなく、「思い出せない」だけなのです。

記憶の倉庫にしまいこまれた記憶を呼び起こすには、きっかけが必要です。日々繰り返し引き出すことを繰り返している内容なら、すぐに引っ張り出せますが、しまいっぱなしだった内容だと手間取ることが多くなります。「何だっけ……」とうなってもなかなか出てきません。仕方ないので諦めて別のことを始めると「あ、そうだ」と思い出したりすることもありますよね。

ココの場合、幸いなことに、お父さんとの思い出が保管された倉庫は無事だったようです。そして、長年引き出すことのなかった記憶が、ミゲルのギター演奏と歌を手がかりに呼び起こされたのです。

手がかりが「ギターの音色と歌」だったことにも大きな意味があります。言語的な記憶は、意識に大きな影響を受け、思い出しては再びしまい込むことを繰り返していくうちに、内容が書き換えられてしまうことが多々あります。しかし、においや味、音などの情報は、意識的な脳を経由することなく、直接海馬に入力されて記憶されます。つまり、意識下の脳内で深く結びつき、正確に残りやすいのです。そして、思い出すときには、無意識のうちに蘇るというわけです。
 

古い記憶ほど正確に残る?「大事な思い出」ほど思い出せるという傾向も

しかし残念ながら、以前の記憶ならいつまでも残ってくれるというわけではありません。アルツハイマー病の初期段階では、主に海馬がダメージを受けることで、前向性健忘が中心に現れますが、さらに進行すると、神経の変性・脱落が他の脳領域でも起こるようになってきます。もし、ココの脳の中で、お父さんとの思い出が保管された場所までダメージを受けてしまったら、もう「思い出す」こともできなくなるわけです。

このような記憶障害は、発症する前の出来事に遡って記憶が失われるという意味で、「逆行性健忘(ぎゃっこうせいけんぼう)」と言います。

逆行性健忘が起こるときは、一般に、時間的に近い出来事(近時記憶)から忘却されやすく、時間的に遠い昔の出来事(遠隔記憶)ほど保たれる傾向があります。アルツハイマー病が進行するほど、かなり昔の思い出を良く話すようになるのも、このためです。

なお、最近の記憶があやふやな状態の認知症の方が昔話をすると、その内容が本当なのかと疑いたくなるかもしれませんが、実は間違いのない事実であることがほとんどです。長年「忘れていた」と思っていた内容は、手付かずのまま倉庫にしまいこまれていたわけですから、一切「書き換え」が行われていません。遺跡から、当時のまま残されていた物が、初めて堀り出されたようなものです。つまりそれは、まぎれもない本物ということです。

また、記憶にはムラがあります。「吊り橋効果で記憶力が上がる?強い体験ほど忘れない理由」で詳しく解説しましたが、印象に残った大事な出来事とそうでない出来事では、思い出すときにも差が生じると思われます。ココが歌を聞いてすぐに思い出せたのは、それだけお父さんとの思い出が大事だったということを物語っていると思います。
 

認知症の記憶障害、正しく理解して安心を

健常な人の場合は、「昔のことは覚えていないけど昨日のことはさすがに覚えている」というのが普通ですから、「さっきご飯を食べたことも覚えていないのに、幼い子どものときのことを鮮明に覚えている」というような認知症の記憶障害は理解しづらいところがあるかもしれません。

しかし、きちんと脳の仕組みを学び、患者さんの脳で起きている現象を説明できるようになれば、少しは安心できますね。脳科学の知見が、多くの患者さんやご家族の助けになることを願っています。
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