世界遺産/アフリカ・オセアニアの世界遺産

アフリカの世界遺産(4ページ目)

人類発祥の場所であり文明誕生の地でもあるアフリカは、ジャングルやサバンナを有する動物の楽園であり、砂漠や高山や古代湖を多数有する極地でもある。類を見ない多彩さを誇るアフリカの世界遺産を紹介しよう。

長谷川 大

執筆者:長谷川 大

世界遺産ガイド

マラウイ湖国立公園

まるで海のように美しいビーチ。淡水ながら、水面下ではカラフルな熱帯魚が舞い踊っている

まるで海のように美しいビーチ。淡水ながら、水面下ではカラフルな熱帯魚が舞い踊っている

マラウイ、1984年、自然遺産(vii)(ix)(x)
マラウイ湖は大地溝帯によって引き裂かれた大地に水が落ち込んで約200万年前に誕生した古代湖。マラウイ、モザンビーク、タンザニアにまたがり、長さ約550km、幅約75km、水深約700mで、湖としては世界で4番目に深く、9番目に大きい。世界遺産に登録されているのはマラウイ側で、全体の0.3%ほどの面積だ。「湖のガラパゴス」といわれるほど独自の生態系を有し、ほとんどが固有種というシグリッドをはじめ、生物進化の研究上、非常に重要な魚類が数多く生息している。カバなどの哺乳動物も豊富で、サファリも楽しめる。

 

ケープ植物区保護地域群

海の向こうに見えるのが標高1,086mのテーブル・マウンテン。ケープタウンの象徴となっている

海の向こうに見えるのが標高1,086mのテーブル・マウンテン。ケープタウンの象徴となっている

南アフリカ、2004年、自然遺産(ix)(x)
海から一気に切り立った断崖絶壁の上に広がるテーブル・マウンテン国立公園をはじめ、切り離された8つの登録地よりなる世界遺産で、世界六大植物区のひとつにも数えられている。植物種が非常に多く、アフリカの0.5%ほどの土地に、アフリカの全植物種の20%近くが生息するホットスポットになっている。種の数は8,200以上ともいわれ、種の多様性ではジャングルを凌ぐほど。ところが近年温暖化の影響で乾燥が進んでおり、生態系が変わったり山火事が頻発しており、2050年までに最大65%のエリアが失われるともいわれる。

 

フェズ旧市街

なめし革を染色をするフェズの革工房タンネリ。昔からの手法を引き継いで、いまだ手作業で行われている

なめし革を染色をするフェズの革工房タンネリ。昔からの手法を引き継いで、いまだ手作業で行われている

モロッコ、1981年、文化遺産(ii)(v)
城壁に囲まれたフェズの旧市街(メディナ)は、人ひとり歩くのもやっとという細道が毛細血管のように張り巡らされ、その間を建物が縦横無尽に連なっている。ランダムに拡張されてきた街中には車が入ることができず、大規模な区画整理もなかったおかげで中世の面影をそのまま残すことになった。この迷宮都市は8世紀に誕生し、808年にはイスラム王朝であるイドリス朝の首都となって栄えた。家並みの中にモスクや神学校、市場などが点在し、迷宮によって敵の侵入に備えていた。いまも多くの人が暮らす「生きている世界遺産」となっている。

紹介記事はこちら>>フェズ旧市街/モロッコ

 

マラケシュ旧市街

ベン・ユーセフ・マドサラ

精緻なイスラム装飾で覆われたベン・ユーセフ・マドサラ

モロッコ、1985年、文化遺産(i)(ii)(iv)(v)
世界最大の砂漠・サハラの北西の果て、アトラス山脈の麓に位置するモロッコのオアシス都市マラケシュ。灰色の荒野と褐色の砂漠の果てに建つマラケシュは、水と緑あふれる庭園・公園、イスラム装飾で覆われた宮殿やモスク、歌と掛け声に満ちた広場や市場で彩られ、古来、砂漠を渡る旅人たちを癒してきた。ハイライトは夕方以降、数百軒の露店が開店し、足の踏み場もないほどのにぎわいを見せるジャマ・エル・フナ広場。こちらはユネスコの無形文化遺産にも登録されている。

紹介記事はこちら>>マラケシュ旧市街/モロッコ

 

アイット・ベン・ハドゥの集落

砂漠の中継地として栄えたアイット・ベン・ハドゥ。映画『グラディエーター』『アラビアのロレンス』などのロケ地としても知られる

砂漠の中継地として栄えたアイット・ベン・ハドゥ。映画『グラディエーター』『アラビアのロレンス』などのロケ地としても知られる

モロッコ、1987年、文化遺産(iv)(v)
古くから北アフリカで暮らす先住民族ベルベル人は、サハラ砂漠から地中海にかけての一帯に数々の隊商村を築き、貿易によって生き抜いてきた。アトラス山脈周辺では、ベルベル人たちは土で城のような強力な邸宅=カスバを築き、これを連ねて村を要塞化して守りを固めた。こうした村を並べることで、ベルベル人は交易ルートを確保した。アイット・ベン・ハドゥはハドゥ家によって500年ほど前に造られた城下町。敵の侵入に備えて街への入り口は1か所しか存在せず、内部は迷路になっており、建物の1階には窓がない特殊な構造になっている。

紹介記事はこちら>>アイット・ベン・ハドゥの集落/モロッコ

 

エッサウィラのメディナ

エッサウィラのメディナ

城壁に囲まれた白の家並みが美しいエッサウィラのメディナ

モロッコ、2001年、文化遺産(ii)(iv)
青い海と青い空によく映える純白の家並みはカラフルな絨毯や陶器で彩られ、フランス風の城塞、ポルトガル風の教会、アラブ風のモスク、西アフリカ風の住居が街をエキゾチックに演出する。モロッコ人が新婚旅行先に選ぶという美しい港湾都市は、ボブ・マーリーやジミ・ヘンドリックス、レッド・ツェッペリンといったミュージシャンたちにも深く愛されおり、音楽の街としても知られている。
紹介記事はこちら>>エッサウィラのメディナ/モロッコ

 

レプティス・マグナの古代遺跡

ローマ時代の遺構としては北アフリカ最大規模を誇るレプティス・マグナ。1921年に砂の中から発見されたが、まだ半分以上が未発掘

ローマ時代の遺構としては北アフリカ最大規模を誇るレプティス・マグナ。1921年に砂の中から発見されたが、まだ半分以上が未発掘

リビア、1982年、文化遺産(i)(ii)(iii)
紀元前10世紀前後にフェニキア人によって建てられ、やがてカルダゴの地方都市として発展したレプティス・マグナ。紀元前146年の第3次ポエニ戦争でカルタゴが滅びるとローマ帝国領となる。193年にセプティミウス・セウェルスがアフリカ出身者としてはじめてローマ皇帝に即位すると、出身地であるレプティス・マグナの大開発に着手し、アフリカ岸ではカルタゴ。アレクサンドリアに並ぶ最重要都市として繁栄する。3世紀以降次第に街は没落していき、7世紀には砂に埋もれて、20世紀まで忘れ去られていた。
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