知られざる逸話をミュージカル化した『よろこびのうた』
11月28~29日=ティアラこうとう大ホール『よろこびのうた』見どころとは? 平成17年の創立以来、四国・瀬戸内圏の文化・歴史を題材としたオリジナル・ミュージカルを毎年制作、一年間ずつロングランしている愛媛県・東温市の“奇跡の劇場”、坊っちゃん劇場。先月は世界初の「アジア8K映像演劇祭」を開催(関連記事はこちら)など、目覚ましい活動を見せる劇場の今年の演目が、二日間のみ東京で上演されます。
第一次世界大戦中、日本で初めてベートーベンの「第九交響曲」歓喜の歌が歌われた史実をもとに、徳島のドイツ兵捕虜たちと地元の日本人たちの交流を描いた本作。老舗旅館の一人娘・明子に一目ぼれしたドイツ兵ミハエルが恋を実らせようと奮闘するも、厳格な明子の父親に大反対され、そうこうするうちに終戦、ドイツ兵たちは帰国することに。ミハエルと明子の恋の行方は?
映画『パッチギ!』やTVドラマ『マッサン』等で知られる羽原大介さんが台本を、『ミス・サイゴン』初代クリス役の岸田敏志さんが音楽を、そして錦織一清さんが演出を担当。『アルジャーノンに花束を』『Play A Life』等で活躍する小林遼介さんらの出演で、“思いが溢れた時に生まれる歌”の物語が生き生きと描かれます。二つの文化と並行して二つの世代の物語でもあるので、親子や三世代でも気持ちよく鑑賞できることでしょう。
『よろこびのうた』作曲・岸田敏志さんインタビュー
岸田敏志 岡山県出身。シンガーソングライターとして「きみの朝」「重いつばさ」等がヒット。音楽活躍の傍ら、『一年B組新八先生』等のTVドラマ、『ミス・サイゴン』『回転木馬』『屋根の上のヴァイオリン弾き』等のミュージカルに出演。『グレート・ギャツビー』等の舞台音楽もつとめ、多彩に活躍している。(C)Marino Matsushima
――今回はどのようなご縁で、坊っちゃん劇場の新作を手掛けることになったのですか?
「『よろこびのうた』を書かれた羽原大介さんと演出の錦織一清さんとは以前、『グレート・ギャツビー』という作品(2016年)でご一緒したことがありまして、今回もこの3人でということになりました。
坊っちゃん劇場の存在は以前から、知り合いの俳優たちが出演していて知っていましたが、実際に現地に行ったのは昨年の夏が初めて。こんなところにこんないい劇場がある、と驚きましたね。450席くらいで、どこからも舞台がよく見える、ちょうどいいハコ(劇場)なんですよ。ニッキ(錦織さん)と“東京に持っていきたいね”と言っていたくらいです」
――昨夏初めて劇場を訪れたということは、創作に取り掛かられたのはその後でしょうか?
「僕は台本が出来上がってからの参加ですから、夏過ぎごろからですね。羽原さんの台本は“ここにこういう感じで音楽を入れたいのだろうな”というのがわかりやすくて、僕はそのイメージに沿って集中して曲を書いていきました。歌詞も厳密に決まっているわけではなく、“こんな感じの歌詞で”という殴り書きのようなものがあって、それをもとに僕が自由に作らせていただきましたね」 ――あらかじめ歌詞が決まっている形ではなかったのですね。
「そういう形だと、作曲の過程で“この言葉を全部入れなくては”とメロディに無理が出て、小節数が中途半端になり、歌う演者(俳優)が気持ちに折り合いがつかなくなる、ということが起こりがちです。実際、そんな作品も観たことがありますが、僕はそういうことはやりたくなかった」
――本作のメロディは耳なじみがよく、キャッチ―でありながら、精緻に作られていると感じます。例えば2幕でヒロインの明子が自分の境遇を嘆く“私はカゴの鳥”では、歌詞の1行目は思いを吐き出すように言葉をたたみかけ、2行目ではゆっくり。そして3行目でフレーズを立たせる。新劇俳優の台詞術のような緩急が、ナンバーに織り込まれています。
「あのナンバーは明子の心情を歌う“お芝居”の要素の濃い曲で、知らない世界を夢見、どうしても旅立ちたいと願う彼女の心情を表現しようと意識しました。明子がひとしきり歌って去ると、その様子を見守っていたお母さんが出てきて同じメロディで歌うんですよね。彼女が母としての愛情と、女としてどう生きるべきかと葛藤する姿を効果的に重ねることが出来たかなと思います。 実は当初、明子の両親については“強い父親と冷淡な母親”という設定だったのですが、坊っちゃん劇場には子供もたくさん観に来るので一考してほしいという声があり、現場に入って設定が変わったんですよ。それで台本が変わり歌が変わり、演出もこういうふうにしようと。このナンバーについても、もともとは別個に歌っていたのを、明子をそっと見守ったうえで母親が歌いだすという形に変わりました。そういうふうに皆で意見を出し合いながら作っていくのはとても楽しかったですね」
誰もが感動できる、いいミュージカルだと思えます
――11月末には東京でも上演されます。
「僕のコンサートで“こういうミュージカルがあるんです”とお話をすると、皆さんとても興味を持ってくださるんですよ。やはり史実に基づいたしっかりした作品なので、観てみたいと思っていただけるのでしょうね。僕が出させていただいている『渡る世間は鬼ばかり』というドラマとも共通する部分があって、笑いもあれば涙もある。最初騒いでいた子供たちもだんだん前のめりになってきて、最後には拍手して観ている。誰もが感動できる、いいミュージカルに仕上がっていると思います」 ――プロフィールについても少しうかがいたいのですが、岸田さんと言えば『ミス・サイゴン』(1992年)のオリジナル日本キャスト、伝説の“クリス”です。それまでシンガーソングライター、俳優として活躍していた岸田さんですが、ミュージカルには以前から関心があったのですか?
「自分の音楽活動の中で、クリスマスの時期に一人芝居に歌を織り交ぜたような公演をやっていたら、それをご覧になったプロデューサーの方が、ミュージカルに出てみませんかとおっしゃって、『なんの花か薫る』という舞台(1989年)に出ることになったんです。
するとそれを観た別のプロデューサーが、『ZEAMI』というミュージカルで当時の松本幸四郎さん、現在の松本白鸚さんの息子役をやらないかと誘ってくださったんですね。幸四郎さんの息子役ならぜひやりたいとお受けしたら(1990年)、楽屋でアンサンブルのみんなが『ミス・サイゴン』のオーディションちらしを持ってわいわいやっていたんです。後日、事務所にもその要綱が来まして、応募してみたところ、運よく受かりました」
――もともとご自身の歌を歌っていた方にとって、決まりごとの多いミュージカルで歌うことに抵抗感はありませんでしたか?
「それはありませんでしたが、オーディションというものを受けたことがなく、何をどう準備したらいいかわからなかったし、(プロの歌手としては)落ちたらいやだなあみたいな変なプライドもありました(笑)。でも、ある人から“オーディションは歌のうまい下手ではなく、役に合うのは誰だということで決めるもの。うますぎて落ちるということもある”と聞き、それ以来オーディションに対する怖さは無くなりましたね」
“ミュージカル”に対する取り組みが変わった『ミス・サイゴン』初演
――実際出演してみていかがでしたか?
「『ミス・サイゴン』があったことで、僕のミュージカルに対する気持ちや取り組み方は変わりました。というのは、受かってから1年くらい“サイゴン・スクール”といって、週4日ほどトレーニングがあったんです。
僕が今まで経験したなかで唯一、リハーサルからギャラが出た作品で、僕をふくめみんな参加しやすかったし、発声の仕方、体力づくり、歌唱法もかなり変わりました。特に発声については従来のままだとどこかで声をつぶす可能性があるということで、そうならない方法をしっかり教えていただきました。おかげで毎日出演し、皆勤することができましたね。
ミュージカルというジャンルについても、台本と音楽、舞台美術、照明と様々なスタッフが関わっていて、本番では生演奏。指揮者とアイコンタクトしながら歌ったり、時には装置が動かなくなったりということもあって、すべてが“生(なま)”なんですね。全員で完璧に仕上げることで伝えられるものがある、こういう総合芸術って素晴らしいと感じました」
――その後『回転木馬』『屋根の上のヴァイオリン弾き』等で活躍されるかたわら、近年は今回のように作曲家としても活躍されていますが、ご自身の音楽活動とミュージカルでは、同じ作曲でも違いがありますか?
「違いますね。自分が歌うときには自然と、自分が歌いたくなるメロディが浮かんできますが、ミュージカルでは別の方が歌うので、僕はこういう感じでは歌わないけれど作品としてはこう行くのがいいんだろうなぁと考えながら書いていきます」
“メロディに言葉をのせる”ことの大切さ
――オリジナル・ミュージカルでは時折“想定の範囲内”というか、あまり印象に残らないメロディに出会うこともありますが、岸田さんの楽曲はとてもカラフルです。メロディを“立たせる”ために工夫されていることはありますか?
「日本のミュージカルはもしかしたら、クラシックをきちんと学ばれた方が作曲していることが多いのかもしれませんね。皆さん理論を持ってらっしゃるので、それにのっとって作曲されているのでしょう。でもそういう曲の中には確かに、歌いにくい歌があると感じます。それはどういうことかというと、メロディに言葉がのっていない。イントネーションが違う。歌い手として、あることを伝えたいと思っても、違うイントネーションでメロディが作られていると、非常に歌いにくいんです。僕はなるべくふつうの会話通りのイントネーションでメロディを作り、演者の人が相手に伝えやすくなるよう意識しています」
――ということは、今後作曲家をめざす若い人は、言葉のセンスも必要ですね。
「僕は物申すような立場ではありませんが、僕の場合、自由に作らせてくれる環境にいさせていただいているのが大きいですね。“これです”と詞を提示されたときに、言いにくくても“この言葉だと絶対メロディに乗せにくいです”と言う。すると“そうだね”と理解してくださったり、“こっちの言葉はどう?”とアイディアを出してくれる。
そういう制作環境のなかで、言葉の抑揚を生かしたり、ロングトーンをどこで生かせばいいかな、ここで伸ばしたら演者が気持ちいいんじゃないかとか、僕自身の経験を活かしながら書けている部分はあります」
――日本語でミュージカルを上演することについて、限界を感じている方もいらっしゃいますが……。
「確かに、例えば『回転木馬』や『ミス・サイゴン』の時に、訳詞の先生が一生懸命考えて日本語の歌詞をはめていったものに対して、来日された作曲家や演出スタッフが、“ここは四分音符のはずなのになぜ八分音符で歌うんだ”といったことを言われたことがありました。
でもご存知の通り、日本語では一音で表現できるものが英語よりもずっと少ない。英語のような無声音もないですし。訳詞の先生も、日本語で歌う役者さんも大変だと思うし、(気持ちは)わかりますよ。ただ、僕らが今回、坊っちゃん劇場のために作ったような舞台は、はじめから日本語です。その点で大きな自由がありますね」
――ミュージカル・ジャンルにおいては、今後どんな抱負をお持ちですか?
「こうやってミュージカルをやらせてもらうようになったことで、最近は歌のない“舞台音楽”もやらせていただくようになりました。松竹新喜劇の舞台を5作品くらい手掛けるなかで、歌無しでどうやって盛り上げていこうかとか、出の音楽には決まりごとが昔からあるらしく、勉強させてもらいながら経験を積ませていただいています。音楽って面白いなぁと改めて思いますね。
そんな経験を活かしながら、これからも皆でゼロからミュージカルを立ち上げてゆくということをやっていけたら。もちろん俳優としても、時々は出ていますよ。台詞を覚えて舞台に上がるということを楽しんでいます、ボケ防止も兼ねてね(笑)」
*公式HP