「LGBT支援の度が過ぎる」という意見への反論として
7月27日(金)、永田町の自民党本部前で杉田議員の辞職を求める抗議デモが開催され、約5000名もの方が集まりました。東京レインボープライドなどの当事者団体も参加し、多くの方が歴史的なスピーチを行いました。
2000年以降、全国のほとんどの都道府県が、男女共同参画に関する条例や人権基本方針などにLGBTのことを(差別してはいけない、支援が必要という内容で)盛り込むようになり、多くの市区町村で市民への啓発の機会を設けたり、職員研修を行ったり、相談事業を始めたり、公的文書から不要な性別欄を削除するなどの施策を行うようになってきています(詳細は『Oriijin』2018年3月号をご参照ください)。同性パートナーシップ証明制度については、今や、札幌市、大阪市、福岡市などの政令指定都市も導入するようになりました。ほかにも、公営住宅への入居を可能にする、ゲイカップルを里親に認定する、職員の同性パートナーにも福利厚生を認める、といった施策も一部で実施されてきました。
国もLGBTへの配慮を求めるようになっています。例えば、文科省がLGBTの子どもへの配慮を求めるよう全国の学校に通知したり、いじめ防止基本方針に教職員の理解を促進するよう明記したり、中学の道徳の教科書にLGBTのことも掲載したり、自殺総合対策大綱に性的マイノリティに関する施策を盛り込んだり、男女雇用機会均等法のセクハラ指針にLGBTを明記したり(人事院規則を改正し、国家公務員についてはLGBT差別=セクハラであると認定したり)。すなわち、国が公的にLGBTを支援しているのです。
しかし、衆議院議員の杉田水脈氏が、2018年7月19日発売の月刊誌『新潮45』(新潮社/2018年8月号)に「『LGBT』支援の度が過ぎる」という論文を寄稿し、「LGBTのカップルのために税金を使うことに賛同が得られるものでしょうか。彼ら彼女らは子供を作らない、つまり『生産性』がない」「『常識』や『普通であること』を見失っていく社会は、『秩序』がなくなり、いずれ崩壊していくことにもなりかねません」などと述べました。政権与党に属する衆議院議員の方が、「生産性」のない同性愛者は支援しなくてよいと主張しているのです。さらに、2015年、杉田氏が「チャンネル桜」で自説を語る動画では、自殺率が異性愛者より6倍も高いということをせせら笑いながら語っていました(多くの当事者の怒りを買いました)。これは一過性の失言などではなく、信念として述べられた主張です。党の方針との整合性も問題で、議員辞職を求める声もあがっています。
しかし、この史上最大級の公人によるヘイトスピーチとも言うべき事件が公になって以降、議員さんを含め、SNS上には様な意見があがってきています。
例えば、「生産性」で国民を選別する思想は言語道断だとしても、LGBTを公的に支援する意味がわからない、支援は必要ない、支援してもいいけれど優先順位は低くてよい、あるいは、そもそも日本にはLGBT差別などない、と思っている方もいらっしゃるようです。
「構造的差別」ゆえに当事者が苦しむ現状
まず、日本にはLGBT差別がない、という見方への反論です。
日本では現状、結婚の平等が認められていませんし、同性パートナー法などもなく、法的には同性カップルの権利はまったく保障されていません。G7(フランス、アメリカ、イギリス、ドイツ、日本、イタリア、カナダ)で何もないのは日本だけです。
また、異性のカップルは婚姻届さえ出せば税制優遇や相続、遺族年金などたくさんの権利をパッケージとしてもらえるわけですが、同性のカップルは、40年以上連れ添ったパートナーの火葬に立ち会えず、共同経営の会社も親族に奪われ、犯罪被害遺族給付金の支給も認められず、20年以上連れ添ったパートナーが国外退去を命じられる……といった、数々の理不尽な差別に直面しています。これが構造的な差別でなくて何なのでしょうか?
また、LGBT差別を禁止するような法律もありませんので、例えば履歴書の性別と見た目の性別が異なるという理由で採用を取り消されたり、ゲイであることがわかって職を追われたり、という差別がまかり通ってしまっています。
学校や職場で差別的な言動やアウティング(公にしていない性的指向や性自認のことを、本人の了解を得ずに暴露すること)が横行し、当事者が傷ついたり、心を病んだり、生活に支障が出るような状況に追い込まれても、誰も責任を取らず、守ってもくれないということにもなりかねません(一橋大学ロースクールのゲイの学生が自殺した事件は、そのことを浮き彫りにしています)。
日本の法制度ではそもそも同性愛者が想定されておらず、いないものとなっています。法整備が遅れ、LGBTを擁護するという考え方も反映されておらず、異性愛者と同性愛者の扱いに構造的な差別が生じており、生きづらさにつながっています。当事者の中にも、特に今の状況で生きづらさを感じることはないとおっしゃる方もいらっしゃいますが、だからといって日本にはLGBTへの差別がないということにはまったくなりません。
生きづらさが解消されず、命にかかわる問題に
(杉田氏が笑いながら語っているように)自殺未遂率の高さも問題になっています。ゲイ・バイセクシュアル男性の自殺企図率は異性愛男性の約6倍にも上るという調査結果はよく引き合いに出されますが、性同一性障害の方も深刻で、死にたいと思ったことがある方は約6割、実際に自傷・自殺未遂を行なった方が3割近くに上っています。なぜ自殺を考えてしまう方が多いのでしょうか。昨年の「保毛尾田保毛男」事件の時にもお伝えしましたが、子どもの頃から(まさに杉田議員が助長しているように)「異常だ」と言われ、いじめられ、テレビで嘲笑され、スティグマを植え付けられてきているからです。心に小さな傷を(「虐待」を受けたかのように)溜め込み、メンタルヘルスが悪化しやすく、何かあると鬱などの症状が現れがちです。鬱が重症化すると希死念慮が高まるため、周囲の方の見守りが大事になりますが、一人暮らしの方も多く、自殺を防げない状況があります。そもそも家族にもカミングアウトしづらいため、苦悩を相談できず、孤立無援の状況に陥る方も多いと考えられます。
「同性愛者への支援は必要ない」とうっすら思っているあなたへ
このように申し上げてもなお、「同性愛は伝統的な家族のあり方を崩壊させる」「同性愛を助長すれば少子化が進む」などとして、学校で教えたり、支援したり、法律で認める必要はないと主張する方がいらっしゃいます。これは、同性愛を賞揚すると「そっちに走る」人が増えるという発想ですね。何か根本的に誤解していらっしゃるようです。
ここまではっきり差別的でなくても、例えば「テレビを観ているとオネエの人たちはみんな楽しそうだし、別に支援とかいらないのでは?」といった様々なパターンの無理解や偏見があります。
同性愛者への支援は必要ないとうっすら思っている方に対して、一体どのように語りかければよいのでしょうか? 私なりに考えてみました。
■同性愛は世界に普遍的に存在し、それを嫌悪するほうが問題であるということ
まず、「同性愛は生まれつきか「趣味」か」でもお伝えしたように、同性愛は基本的に生得的なもので、どんなに圧力をかけても変えられませんし、「治療」もできません。それが「性的指向」というものです。色事が好きすぎて「そっちに走った」わけではないのです。そこを誤解している方が結構多いと思います。
なぜそうなっているのかはわかりませんが(世界は人知を超えています)、ライオンやチンバンジーなど1500種以上の動物で広く同性愛行動が確認されています(キリンにいたっては75~95%がオスどうしで交わっています)。当然、人類も、古代からあらゆる文明で同性愛が見られました。有名なのは古代ギリシアで、年長の男性と少年が愛し合う姿が描かれた壺や皿が大量に出土しています。日本でも近世まで当たり前に男色が行われてきました(戦国武将などは衆道という崇高な契りと見なしていました)。 90年代には同性愛者と異性愛者で脳の一部が異なるという大発見がありました。これは、生まれつきであることの証左です。
あらゆる時代、社会に同性愛者は存在しました。しかし、中世には魔女といっしょに火あぶりにされ、近世以降は逮捕・投獄され、ナチス・ドイツでは強制収容所で虐殺されるなど、弾圧・迫害もありました。つまり、同性愛自体は普遍的なのに、時代や社会によって(恣意的、人為的に)扱われ方がずいぶん異なっていると言えます。
今は、同性愛者が「異常」なのではなく、「社会の同性愛嫌悪(ホモフォビア)こそが問題なのだ」と見なされています。これは「女は本質的に男より劣っている」というような偏見と同根です(異性愛規範=ヘテロノーマティヴィティと言います)。
■家族や友人、身近な人の中にも必ず性的マイノリティがいるということ
このように申し上げてもなお、「生まれつきだということはわかった。だが、それは欠陥だろう」などとおっしゃる方もいます。これは「遺伝子のエラーなのだから、遺伝子操作で生まれなくすればよい」という優生思想(ナチスのホロコーストにつながった思想)まであと一歩の考え方です。それがどんなに危険か、同意していただけると思います。
日本では性的マイノリティは約13人に1人です(自己申告ですので、社会がさらに寛容になれば、そうだよ、と気軽に申告できる人も増えると思います)。ということは、みなさんのお子さんや兄弟姉妹、親戚、同級生、同僚の方などにも、きっとLGBTがいたことでしょう(ただ言えないだけで)。
もし、これから生まれてくるお子さんが同性愛者だったとしたら、いじめられ、生きづらさに直面し、結婚が認められないなどの差別に苦しむことになる。それでも支援は必要ないとおっしゃるでしょうか。
大切な人が性的マイノリティだったときに直面する差別に対し、あなたがいっしょに感じるであろう理不尽さや怒りを想像してみましょう。それが、「支援」の必要性に繋がるはずです。
■基本的人権の意味をもう一度確認してほしいということ
そもそも人間には、生まれながらにして、生きる権利、自由に生きる権利、平等に扱われる権利があります。「生産性」などに関係なく、性的指向や性自認や性別や国籍や人種、障害の有無などにかかわらず、どんな人間でも、です。この基本的人権は、近代民主主義国家の前提です。これを守れない国は、国際的な非難を浴びることになります。
日本が今後、近代民主主義を捨て、先進国から脱落し、やがてどこかの国のような危険な独裁国家に……ということになるはずがないとは思いますが、こと同性愛者の人権に関しては、残念ながら危険な方向に行く可能性も憂慮されています(国連の「同性愛者の死刑を非難する決議」に対し、日本は反対票を投じています)。
どなたかが、「支援」と言うから特別だと思われる、穴に落ちて困っている人を助けようというような話だから「救済」と言えばよい、とおっしゃっていて、本当にそうだなあと思いました。
同性愛者は平等に扱われず、依然として自殺率も高いということは、基本的人権が脅かされているわけです。だから、救済が必要なのです。そういう意味での「支援」であり、なにも特別な優遇措置を施すべきだと言っているのではないのです。
何に困り、どのような救済が必要なのか
では、具体的にどのような支援が必要なのでしょうか。何をどこまでやればよいのか、という話です。
LGBT法連合会が、LGBTが直面しがちな困難の一覧を発表しています。子ども・教育、就労、カップル・養育・死別・相続、高齢、医療、公共サービス・社会保障、民間サービス・メディア、刑事手続、その他というカテゴリーで264もの項目が挙げられています。このうち、「いじめ、雇用差別、自殺」という大きな3つの困難を、LGBT差別禁止法の制定によって、解消していこうと、同団体は提起しています。
たくさんある困難を、どうにか地道に解決していこうというものです。
例えば、東京都文京区のように、職員や教員に対してLGBTにどう向き合ったらよいのかをきめ細かに記したガイドラインを作成したり、東京都国立市のようにアウティングはよくないですよと条例に記したり、多様な施策が見られるようになってきています。沖縄県那覇市などは、LGBT支援宣言を発し、同性パートナーシップ証明制度も導入し、プライドイベントを「共催」し(共催しているのは那覇市だけです)、市長さん自らプライドイベントでゲイカップルに証明書を手渡すという、素晴らしくサポーティブなメッセージを送ってくれています。
予算がない自治体でもできるLGBT支援とは?
地方自治体は予算が限られているので捻出が難しいから仕方ない、という話もありますが、財源が豊富な東京の渋谷区ですら平成30年度の男女平等・LGBT関連予算は1300万円です。これは予算総額938億円のうちの0.01%だそうです。日本全体で見ても、LGBTを救済するための施策として実際に使われている予算なんて雀の涙ほどでしかないでしょう。それを削れと言う人の気が知れません。
それでも、(議会の承認も必要ですし)予算は出せませんという自治体があるのも承知です。だから何もしないというのではなく、個人的には、市長さんのような方からLGBTにメッセージを送っていただければ、と思う次第です。
2000年代、札幌の上田市長(当時)が「レインボーマーチ札幌」(または、さっぽろレインボーマーチ。札幌でのゲイパレードの名称)で挨拶したことが、どれだけ当事者を勇気づけたことか。自治体のトップの方が自分自身の言葉で語ってくれることで、多くの当事者が救われます(杉田氏と真逆ですね)。
もちろん、企業のトップや国会議員、著名人などからのメッセージも支援のひとつになります。
つい先日、ダン・レイノルズというバンドマンが1億円をLGBT団体に寄付するチャリティ・イベントを開催し、アップルのティム・クックが「LGBTは世界にもたらされた贈り物です。唯一無二で、ただあなたであるだけで、特別な存在です。あなたの人生は、かけがえのないものです。どうか自分自身の真実を見つけ、それを語り、生きてください」とスピーチし、感動を呼びました。ニュージーランドの国会での同性婚を支持する議員のスピーチも、再び注目を集め、絶賛されています。
いつの間にか日本では、粗末で思慮のない発言、人を貶め、傷つけてはばからない発言が、雲が湧くようにあちこちで生まれるようになってしまいました(アンチ同性愛な人はよく「伝統的な家族のあり方を崩壊させる」と言いますが、それこそ日本の古き良き「伝統」を忘れてしまったのでしょうか……)。こういうふうに自分自身の言葉で人々を勇気づけ、支援するようなメッセージを発信できる方が増えていくといいな、と思います。