最後の98デスクトップ
PC-9821 RA43
国民機の終焉

先日、NECがPC-9800シリーズの製造終了を発表しました。PC-9800シリーズといえば国民機とまでいわれるほどのシェアを誇り、NEC本社ビルを建てる原資となったともいわれているほど、NECの、いや日本を代表するパーソナルコンピュータです。そんなPC-9800シリーズですが、1000ドルパソコンのコンパックショック以来、いつかはやってくるといわれ続けた日がとうとうやってきてしまいました。筆者は早々にPC-9800シリーズを使用しなくなっていましたが、今でも日本の多くの企業などでは機械の制御や、改変されていないシステムを動作させるために、日夜活躍している機体も多いことでしょう。今回はそんなPC-9800にまつわるお話です。

日本のパソコン黎明期

パソコンという言葉がなかった頃、当時出回り始めたばかりのマイクロコンピュータチップを搭載した電子玩具に168,000円という破格の値づけをしたのは、通信機器を得意とするNECでした。当時はお金と技術のある、一部の人だけの玩具でしたが、その後、ディスプレイやキーボードなどを接続した、現在のパソコンに近い形のコンピュータが出回ると、激しい規格競争が勃発しました。NECと同じ通信機器が得意だった富士通、大型コンピュータからのフルラインアップをもくろむ日立や三菱、どちらかといえば素材メーカだったシャープ、家電界からは東芝などなど、また海外組も加わって、「うちこそ一番」とばかりに売り込み合戦に熱が入りました。そんな中、あることがきっかけでNECが頭一つ抜き出ることに成功しました。

ソフトを制するものはハードを制す

8ビットのマイコン(当時はパソコンでなくマイコンと呼ばれていました)時代、コンピュータ雑誌には毎号いくつもの読者投稿ゲームプログラムが掲載され、皆必死でキー入力して遊んでいました。箱だけ作れば、あとは誰かが作ったこれらのプログラムが流通するので、あまりソフトのことを考えるメーカはありませんでした。それは日本でも、また海外でも同じでした。

ソフトウェアの重要性をよく認知しているIBMは、マイクロコンピュータに参入する際、このソフトをいかに充実させるかが勝敗を握る鍵だと判断し、すぐ使えるOSを用意するためにマイクロソフトのMS-DOSを購入したのはあまりにも有名です。この動きに素早く反応したのが、業界の先駆者であったNECでした。まだまだコンピュータの能力も低く、特別なハードウェア、ソフトウェアを用意しないと日本語の表示さえできない時代でしたので、日本語表示で先行していたNECは16ビットコンピュータの出荷を機会に、ソフトハウスを手厚くサポートするようになりました。ハードの貸し出しや技術供与など、技術があってもお金がないためにハードウェアを揃えられず苦労していたソフトハウスにとっては、まさに渡りに船。このサポートのおかげで多くのソフトハウスが競ってPC-9800シリーズ用ソフトウェアを用意するようになりました。そして一気にゲーム、ビジネスの両面から最盛期は70%以上ともいわれたほどのトップシェアを誇るに至ったのです。

IBM-PCに非常によく似た設計が吉

たまたまほぼ同時期に産声を上げたIBMのIBM-PCは、NECのPC-9800シリーズと設計がよく似ていました。このおかげで、世界中であっという間にシェアを独占したIBM-PCの技術を、PC-9800シリーズに移植することが割と簡単に出来てしまいました。方や世界中で多くのシェア、方や日本で多くのシェアを持っていましたので、さまざまな周辺機器やソフトウェアが、割と簡単にPC-9800シリーズに転用出来たということです。おかげでPC-9800シリーズはますますシェアを伸ばしていくことになります。

バグも忠実に再現

PC-9800シリーズは前身となったPC-8001シリーズから続く一連のラインアップだったのですが、当時はゲーム機としての要素が強く、上位互換は必須でした。つまり、新しいモデルの売り上げはそれ以前のモデルで使用できたソフトウェア、特にゲームがどれだけ動くか、ということが重要だったわけです。ゲームソフトはコピープロテクトがかけられたものが多く、プロテクトに引っかかってはまずかったので互換性を重視せざるを得なかったのです。そんなことから、直前の主力(ゲーム?)モデルPC-8801シリーズとの互換性は非常に高かったといわれています。システムのバグまでも忠実に再現された、という話は大変に有名です。