互換機との戦い

EPSONという名前は今でこそプリンタの代名詞のように感じる方も多いことでしょう。ですが、NECのPC-9800シリーズが全盛だった頃、「国民機」というキャッチフレーズでPC-9800互換機を発売していました。IBM-PCに対するCompaqが「パソコン界のBMW」と称されたと同じとはいいませんが、常にPC-9800シリーズより安く、より早いPCを出荷していました。ですが、すでに市場を独占していたNECは黙ってみているはずがありません。今でいうところの知的財産、パソコンに搭載されていたBASICがNECの技術をまねているとの訴えを起こしました。EPSONはすぐにBASICの搭載をやめ、一応の決着をみるのですが、そうこうしているうちにIBM系パソコンを製造していた一派がIBMの開発したDOS/Vを搭載してNECの牙城に迫り始めました。

コンパックショック、そしてWindows時代

海外ではIBM-PCおよびその互換機が、出荷以来それまでのパソコンをことごとく製造中止や路線変更に追い込む、こちらもまさに一人勝ちでした。ところが日本語の壁とその表現のためには、当時のパソコンは充分な能力がなかったため、なかなか食い込めないでいました。IBMがノートパソコンを世に出すに当たり、何とかソフトウェアで日本語を表示できないか、試行錯誤の末DOS/Vが世に出たのですが、これを偉大な変革ととらえた人は少なかったようです。

筆者も当時半信半疑の部分がありましたが、コンパックがこのOSを搭載して10万円を切る価格でパソコンを発売してから、様子が変わってきました。それはWindowsの登場で確固たるものになります。Windowsといっても3.0や3.1という、Windows95の1世代前のバージョンですが、それまでの横80文字(英数字で)×25行の画面から、一気に800×600(ドット)や1024×768(ドット)の高解像度表示に移行が始まったからです。高解像度表示のためのハードウェアがIBM-PCに向けて作られ、解像度、色数、速度などを競い始めたため、一気にPC-9800シリーズの優位性が崩れ始めてしまいました。世界中で様々なソフト、ハードが開発されるIBM-PCに対し、いくら設計が似ているからといってNECは1社でそれらすべてを取り込むことが出来なくなってしまったのです。互換性のために維持し続けたディスプレイ解像度が足を引っ張り始めました。Windows95が出荷され、それは決定的になります。

必死の延命策も大きな流れには逆らえず

Windows3.0/3.1時代から、それまでのPC-9801ではなく、ディスプレイ解像度をVGA相当まで上げたPC-9821というシリーズをスタートさせていましたが、旧来のソフトウェアはことごとく9801互換モードを使用していました。Windows向けとして投入したディスプレイアダプタも、PC-9800シリーズ向けの改造が必要となるため、かなり高価になってしまい、競争力を失っていきます。ハードのみならず、ソフトウェアもPC-9800シリーズ向けから離れるメーカも増え始めます。Windows95用にソフトを作った方がより多く発売できるなら、当たり前ですね。

そんな中、故意か失言か、NECの役員がIBM-PC互換機路線への切り替えを記者発表でしてしまいます。それからわずか2ヶ月後、PC98-NXシリーズを発表するに至ります。当初は必死でIBM-PC色を排除しようとしていました。IBM-PCの特徴であるISAバススロットを廃し、PCIスロットのみとしたり、USBキーボード、マウスのみが使えることで、「98でもない、IBM-PCでもない新世代のPC」とぶちあげました。互換性がないPCはPCにあらず、というこの業界で、全く新しいアーキテクチャというのはあり得ません。「ソフトウェア/ハードウェアはDOS/V用を使用してください」と説明書に小さくかかれているのをみるまでもなく、筆者も一台購入したPC98-NXに、穴だけついていたISAスロットを5時間かけて取り付けたり、カバーが付いているPS/2キーボード、マウスコネクタを有効にして利用したりしました。筆者はこのPC98-NXを見て、DOS/Vが世に出た日に思った、いずれこの時がくる、ということを確信しました。

PC-9800シリーズはまた、大きな変化を遂げます。基本的な設計は古いままに残し、PCIバスの搭載やHDDコントローラの構成、独自だったチップセットをIntel製に切り替えたり、矢継ぎ早にIBM-PCとの垣根を低くします。そうしないとIBM-PC向けの安価なパーツを流用できず、すでに競争力を失ったPC-9800シリーズがますます急速にシェアを落としてしまうからです。PC-9800シリーズであることの必然がなくなっていきました。